遭難碑 - 安曇潤平

日本にも三千メートル級の山というのはよくあるんです。
そういう山の中には登山道に着くまでにトンネルを幾つか越えていかないといけない山というのがあるんです。
夏はバスが通っていたり交通が整備されているんですが、山のエキスパートたちは冬山を登りたいので、その頃には大抵その道は通行止めになっているんです。
そうすると自分の足でトンネルをくぐって登山道まで行かないといけないんです。

仮に佐々木と田中としますけども、二人の男がそういう方法を使ってトンネルを潜って登山道まで行ったんです。
その日はとても天気が充実していて、気持ちのいい山登りができたんです。
ずっと降りる時も天候に恵まれていて、これは素晴らしい山登りだと話していたんです。

冬はどうしても山が荒れるので、こんなに終始天気がいいことは珍しいんですね。
だから二人は喜んでいたわけです。

そこからの行程は、また徒歩でトンネルを潜って麓まで降りないといけません。
「じゃあさ、ここで少し休憩しよう」と言って二人でタバコを吸っていたら、田中は用を足したくなったようで、林の横に用を足しに入っていったんです。
そしたら戻ってきた田中はすごいものを見つけてしまったと言うんです。
佐々木は「お前の用を足した跡なんか見たくねーよ」と言ったんですけど、田中は「そうじゃないんだよ、ちょっと来てみてくれよ」と言うんです。

ついていってみると、田中が歩く先には細い獣道のようなものがあるのが分かったんです。
佐々木は田中の後をついていくと、その獣道が直角に曲がってポッカリと広場に出たんですって。
そこにはものすごい数の遭難碑が立っているんです。

それはとても苔むしていたり、字も見えなくなっていたり、倒れかけていたり、要するにもう忘れ去られた場所という感じなんです。
お花ももちろん備えられていないですし、誰かが訪れているような気配もない。
ここに来たのも本当に偶然だし、何だか物悲しい雰囲気も出ているし、二人は何だか手を合わせることにしたんです。

「こんなところ、もう誰も来ていないんだろな」

「すごいところを偶然見つけちゃったな」

なんて話ながら二人は戻って麓に行くためにまた歩き出したんです。

トンネルの中に入ると、冬ですから、下に水滴が落ちて凍結しているんです。
頭には電球付きのヘルメット、足は滑らないようにアイゼンというものを付けて、前は佐々木、後ろは田中という形で二人は歩いて行ったんです。
佐々木は先に歩いていたんですけど、ザクザクと真後ろで聴こえていた田中の足音が段々と遠くなっていったんです。

「田中どうしたんだよ、遅れてるぞ」

と後ろに声をかけると、田中のライトはきちんと見えているんです。
それで田中が

「ごめんなんか調子悪くて。
 大丈夫だから先行ってくれよ」

と言うので佐々木はまたしばらくそのまま歩いて、後ろを振り返ると田中のライトが更に自分から離れた位置に光っているのが見えるんです。

「おい田中大丈夫かよ」

「いや何か調子悪くて。
 足が何かうまく進まないんだよな」

佐々木は別に調子が悪いわけではないんですが、真っ暗のトンネルの中を一人で歩いているわけですから、佐々木は佐々木で心細いんですよね。
だから佐々木は少し止まって、田中を待つことにしたんです。
そうしたらしばらくすると田中がようやく追いついてきたんです。

「田中大丈夫かよ」と声をかけるんですけど、お互いの頭についているライトで、お互いがよく見えないんです。
田中が「何か調子悪いんだよ」と言って膝をついたんです。
そしたら田中のリュックのところから人が覆いかぶさっているのが見えたんです。

佐々木が「お前、誰か背負ってるぞ」と言ったんです。
田中は自分の後ろを見て、「うわー!」と言って走っていってしまった。

佐々木がライトでそれを見てみると、そのおぶさっている人は足の部分が無いんですって。
田中が走るとその付いているものもガクンガクンと揺れながら必死にしがみついているように見えるんです。
佐々木も急いで田中を追いかけたんですけど、トンネルの出口のところで田中が腰を抜かしてヘバッているんです。

佐々木は「俺も変なの見たし、早く麓に行ってお祓いしてもらおう」というと、田中は「その必要な無いんじゃないか」と言うんです。

「いや、お祓いしてもらったほうがいいって。
 お前、あれ腰から下が無かったぞ」

「俺もすごい怖くてトンネルの中を走っていたけども、トンネルを出る直前に体が軽くなったんだ。
 それで軽くなる瞬間に『ありがとう』という声が聴こえたんだよ。
 きっとあの遺影碑のところで誰かが来るのをずっと待ってたんだよ。
 帰りたかったんだよ。

 きっとあの霊は何か悪さをしたかったんじゃなくて、ただ下に帰りたかっただけなんだよ。
 だから俺らをあそこに招き入れたんだと思う」

それで二人はそのまま麓まで行って帰ったそうです。

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