アタックザック - 安曇潤平

これは私の山仲間から聴いた話です。
その男のことを仮に田中とでもしましょうか。
田中は私なんかよりもずっと上級者で、すごい山をドンドンと登っていくような奴なんです。

普通の山道というのは大抵山小屋の人が整備をきちんとしていて、その登山道を登っていくと整備している山小屋の人が居て近くにキャンプ場なんかがあったりもするんです。
ただ上級者というのはそういう登山道は登らず、バリエーションルートという、あえて山道の無い沢を上り詰め磁石と地図を頼りにあとは自分の長年の勘を頼りに道なき道を進んで道路に出るという、そういう登り方をするんです。

昭和の頃から上級登山者がいつかは行ってみたい道ってのがやっぱりあるんですね。
その田中っていう山仲間が夏前から、以前から自分が行ってみたいと思っていた道を調べに調べて行ってみたんです。
当然日帰りではいけないのでテントを持っていくんですけども、そういう風に登っていく時に何が難しいかというと、何処にテントをはるかということです。

普通の登山道であれば山小屋があったりキャンプがあったりするのでそこでテントを張ればいいわけですよね。
ただ道なき道を登っていく場合はテントをはる場所が前もってわかってないんですから、探さないといけないんです。
時間帯も難しくて、あまりに早い時間にテントをはる場所を見つけてしまうと、次の日の行動に制限がかかってしまう。
もう少し、もう少しと上り詰めすぎるとテントをはる場所が見つからずに自分の身が危なくなる。

その田中って奴は登って行って、森林限界という、ある程度上がっていくと木も生えなくなる場所のちょっと手前で少し開けた場所を見つけたんです。
そこだけ自分の背丈を横に伸ばしたような感じにぽっかりと空いていたんです。
時間的にもちょうど良かったんで田中はそこにテントをはることを決めたんです。

自分ひとりなのでゆっくりとテントをはろうと端の方をヒョイッと見ると、開けた場所の周りは木が鬱蒼と生えているんですけども、その端にアタックザックといって15リットルくらい入る小さなザックがパンパンになって置いてあるのが見えたんです。
田中はそれを見て気持ち悪いと思ったんですね。

逆のことはよくあるんですよ。
割りと大きめのザックが置いてあることはあるんです。
というのは、ある程度のところまで登ってきて次の日は頂上を目指すだけだという時に大きいザックからアタックザックだけを取り出して、雨具や水などの必要なものだけをアタックザックに詰め替えて持っていくっていうのはよくあるんです。

そういうことはあるけども、アタックザックだけは残していくというのはまず無いんですよ。
それが妙に膨らんでいるのがぽつんとあるのが、何だか気持ち悪いなと田中は思ったんです。
けれども戻るわけにもいかないですし、これ以上行くとテントをはる場所がない。
だから田中はアタックザックから一番離れたところにテントをはったんです。
気持ち悪いなと思ったんですけども、明日は早く出るし今はとにかく早く寝ようと思って早めにテントに入ったんです。

外はテントの布一枚隔てて風がサーッと吹いていて虫の声が聴こえてくるんです。
気持ちがいいなぁ、これは寝れるなぁと思った瞬間、虫の声がパッと止んで、独りしかいないテントのすぐ横で「やっと見つけたよ」って声がしたんです。
田中は怖くなって急いでテントを開けて懐中電灯でアタックザックを照らすんですが、位置が移動しているわけでもなく、きちんとそこにあるんです。
でもやっぱり気になって気持ち悪くて眠れなくて、田中は次の日山をそれ以上登るのを辞めたんです。

でもせっかくここまで上り詰めたのに何もないのは勿体無いと、そこでセルフタイマーをつけて写真を撮ったんです。
三脚をセットして、セルフタイマーで田中は三枚の写真を撮ったんです。
そして田中はそのまま怪我もなく山を降りていたんです。

ところが戻ってきて写真を現像してみると、自分が不安そうにテントの前で座っているのが写っているんです。
それは写っているのは当たり前なんですけども、写真の端にアタックザックがぽつんと写っているんです。
そのアタックザックの蓋が開いていてそこから男の顔が出ているんです。

二枚目の写真を見ると、アタックザックは横に倒れて男の肩くらいまでが見えているんです。
三枚目を見ると、男は転がりだして出て来るところなんです。
三枚が連続写真になっているんですね。

田中がその話を僕にしてくれた時に、「俺は三枚で写真を撮るのをやめたけども、あのあと四枚、五枚と写真を撮っていたら俺がアタックザックに入っていたかもしれないな」と言ったんです。

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