家紋から読み解く300年越しの復讐劇 - 中田敦彦

一番高貴なものと言われているのは、もちろん皇室の菊の紋なんですね。

菊の紋

その次は桐の紋という家紋なんですよ。

桐の紋

戦国時代の三英雄、秀吉が使っていた家紋なんですね。 この紋は非常に位が高くて、戦国武将の中でも秀吉が初めて天皇家から紋をいただいたんです。 それでですね、この紋は本当に位が高いんですけど、この秀吉の紋を今の日本で公式に使っている人がいるんですよ。 それが誰かというと、何を隠そう、総理大臣なんですね。 あと、誰もが知っているのは硬貨の五百円玉。 だから、日本人は必ずこの桐の紋を見たことがあるんです。 でもね、じゃあね、おかしいなと思うんですよ。 徳川が倒れ、明治維新が起こったあと、新しい日本政府のトップがその二つ前の豊富の家紋を使う、これはちょっと不思議な事ですよね。 逆に言えば縁起が悪いわけじゃないですか。 ここで深い意味を読み取ることが出来るんです。 つまり今の日本政府、いわば明治政府からの流れですよね。 その明治政府は一体どんな人達だったかと考えると、初期の総理大臣は主に二つの藩が担当していました。 薩摩と長州です。 薩摩と長州から出た人が明治政府の初期の総理大臣なんです。 じゃあその薩摩と長州の人たちってどういう人達かと考えたら、関ヶ原で豊臣軍と徳川軍が戦った時に豊臣が負けて徳川が勝ったから江戸時代がスタートしたんです。 負けた石田三成率いる豊臣軍はどういう人達が居たかというと、薩摩、いわゆる鹿児島の島津、長州、今の山口の毛利。 島津と毛利というこの非常に有力な武将が負けた、豊臣軍の家臣だったんです。 だとしたらですよ。 信長が裏切られて、それの敵を取った秀吉が天下を取りかけたけども結局負けて、家康が天下泰平を取ったと思っていましたが、 その家康に負けた部下たちは三百年間恨みを忘れていなかったんです。 三百年越しに復讐をしたんですよ。 明治維新というのは豊臣の三百年越しの復讐だとしたら、それで徳川を倒し、新しい政府を始めようという時の象徴として掲げられたのが総理大臣の使っている家紋、五百円玉にも描かれている豊臣家の家紋なんです。 信じるか信じないかはアナタ次第。

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