M.C.D.- 師匠シリーズ

362 :M.C.D.  ◆oJUBn2VTGE :2012/01/02(月) 23:40:12.97 ID:93PkLSJW0

師匠から聞いた話だ。 

大学一回生の夏だった。 
午前中の講義が終わり、大学構内の喫茶店の前を通りがかった時、
僕のオカルト道の師匠が一人でテーブル席に陣取り、なにやら難しい顔をしているのが目に入った。 
「なにを見てるんですか」 
近づいて話しかけると、手にした紙切れを天井の蛍光灯にかざして見上げるような仕草をする。 
「どうしようかと思ってな」 
つられて僕も姿勢を低くして下から覗き込むと、どうやらなにかのチケットのようだ。
横を向いた髑髏のマークが全面に描かれている。 
「M.C.D.……?」 
髑髏の中にそんな文字が見えた。 
師匠が口を開く。 
「『モーター・サイクル・ダイアリーズ』だってよ。アマチュアバンドだよ」 
地元バンドのライブチケットか。 
師匠がそんなものを持っているのは意外な気がした。 
「もらったんだ」 
そう言ってチケットをひらひらさせる。
「行こうかどうしようか迷っててな」 
「知り合いでもいるんですか」 
そう訊ねると、「ああ」と言ってチケットを睨んでいる。 
そのバンドのメンバーからもらったもののようだった。
ライブ自体にはあまり興味がなさそうで、もらった手前、義理で行くべきかどうか迷っている、というところか。
「何系のバンドなんですか」 
髑髏の絵でなんとなく想像はついたが、一応訊いてみると「パンク」という答えが返ってきた。 
なるほど。 
「前に聴きに行った時は、もうなんていうかシッチャカメッチャカになってな。
 なんていうんだ、あれ。おしくら饅頭みたいな」 
モッシュか。 
僕もほとんどライブなどには行かないので良く知らないのだが、
客がノリノリで暴れまわるようなライブハウスだとそんなことが起こるらしい。 

「あれで懲りたんだよな」 
かなりハードなバンドのようだ。 
チケットを手にとって良く見せてもらったが、ライブは今日の十九時スタートとなっている。もう当日ではないか。
しかしその日時よりも、会場となっているライブハウスの名前を見て、僕はなにか引っかかるものを感じた。
行ったことはないのだが、最近その名前をどこかで耳にしたような気がするのだ。 
「どうかしたのか」
しばらくチケットとにらめっこをしていると、ようやく思い出した。
「あ、ここ、あれですよ。最近幽霊が出るって噂のライブハウスですよ」
「なに?」
師匠の目が急に輝き始めた。
「研究室の先輩が言ってたんですけど、マジで出るらしいです」 
そう言った途端に、師匠がひったくるように僕からチケットを取り返した。 
「じゃあ、そう言うことで」 
そしてそのまま席を立とうとした。 
「ちょっと待ってくださいよ。行くんですか」 
「行く」 
「聴きに?」 
「見に」 
やっぱり。 
師匠は俄然やる気が出たというように大袈裟に腕を回しながら、
「ようし。おしくら饅頭用の服に着替えてこないとな」と言った。 
ことお化けが絡むと本当にイキイキとしてくるから不思議なものだ。 
「僕も一緒に行って良いですか」 
「いいけど、チケット一枚しかないよ」 
チケットには前売り千二百円、当日千五百円と書いてあった。
プロのアーティストのコンサートに比べれば安いものだ。 
「自分で出しますから」 
「そうか。御主もスキモノよの」 
師匠は上機嫌で集合時間を決めて、「遅れんなよ」と言った。

陽が落ち始めた路上で、僕はライブハウスの外観をぼんやりと見ていた。 
入り口のあたりには、ライブ情報などのポスター類が所狭しと張り出され、
何度も剥がしたような跡がそこかしこに汚らしく残っていて、
けっして悪い意味ではなくなかなか雰囲気のある趣だった。 
さっきまで路上にたむろしていた大勢の若者たちが、
十八時三十分のオープンと同時にその箱の中に次々と吸い込まれて行き、
そんなに沢山入れるのかと心配になった。 
時計を見ると、あと十分で開演だ。あんなことを言っていた師匠の方が遅刻しているじゃないか。 
満員で入れなくなったらどうしてくれるんだろう。 
対バンではなくワンマンライブだという時点で、そこそこ人気のあるバンドなんだろうとは想像できたが、
こんなに客がいるとは思わなかった。 

結局、師匠がライブハウスの前に姿を現したのは、開演五分前になってからだった。
何故か手にはわたあめを握っている。 
「どこでそんなもの買ったんですか」 
「うん」 
答えになっていないが、とにかくわたあめを食べ終わり、割り箸を入り口のそばの灰皿兼ゴミ箱に投げ込んで、
「じゃあ行くぞ」と言う。 
なんてマイペースな人だ。尊敬してしまう。 
ドアの中に入ると、なんとも言えない喧騒が耳に飛び込んできた。
ああ、ライブハウスだなあ、という至極当たり前の感想が浮かぶ。 
師匠が受付でチケットを渡すと、ドリンク代が別に五百円かかると言われ、
「込みじゃないのか」とごねたがダメだったようだ。
しぶしぶといった様子で五百円玉を出し、ドリンクチケットを受け取った。 
僕の方は当日券とドリンク代で合計二千円を支払った。映画を観に行くことを思えばこんなものか、という気もする。
受付のすぐそばで物販をやっており、『M.C.D.』のロゴが入ったTシャツが売られていた。 
こういう物販は、もっとメジャーなアーティストがライブをする時に売っているものだと思っていた。
地元のアマチュアバンドのはずのなのに、自分たちで作ったのだろうか。 
「おい、もう始まるぞ」 
師匠はさっそくドリンクカウンターで交換したビールを片手に、会場の方へ向かおうとしていた。 

しかし会場内はあまり広くなく、客でごった返しており、
飲み物を手にした状態であの中へ入って行くのは危険な感じがした。 
カウンターの中の人に訊くと、ライブ終了後でもドリンクは交換できるというので、
僕はとりあえず後にして師匠を追った。 
ライブハウスなので当然オールスタンディングだったが、
前の方は特に人口密集地帯となっており、今からあそこへ潜り込むのは至難の業のようだった。 
「前回はかなり前の方に並んでたから、人の波に乗って最前列に行ったんだよ。
 そのせいでおしくら饅頭に巻き込まれたんだ。だから今日は後ろの方でいいや」
師匠がそう言った時、会場内の照明が落ちた。と同時に、一斉に大きな歓声が上がった。
バンドのメンバーが登場したのだ。
背の高い長髪の男が、歩きながらライトを浴びてにこやかに客席に手を振っている。
他のメンバーもその後について袖から現れたが、揃ってフレンドリーさの欠片もない殺伐とした雰囲気をまとっていた。
「あのロンゲがボーカルだ」 
いかにもそんな感じだ。
なかなか男前なのだが、笑顔の下の切れ長の目はどこか冷たく、すべてを見下しているような、そんな印象を受けた。
ヤバそうなバンドだ。 
直感でそう思った。 
客層もコアな感じで、ごついピアスをしていたり、髪がツンツン立っていたり、
鋲打ちのライダージャケットに、下はチェーンをジャラジャラ巻いたパンツといういでたちだったりと、
やはりパンクファッションをしている人が多かった。 
そんな中にちらほら高校生らしい制服姿が混ざっている。 
「どのメンバーが知り合いなんですか」 
僕が横に向いて訊ねると、
師匠は誰かにぶつかられて服の胸のあたりに撒けてしまったビールを、
「マジか、くそ」とハンカチで拭いているところだった。 
「強姦殺人前科一犯って感じのやつだよ」 
俯いて服をこすりながら、前を見もせずにそういう返事が返ってきた。 
強姦殺人前科一犯か…… 
「全員やってそうなんですけど」 
ボーカルの他も、みんな危険な香りが漂っていた。 

まずギターがスキンヘッドの男で、その深く刻まれた眉間の皺はとても堅気の人には見えなかったし、
ベースは顔のほぼ下半分を覆う白いマスクをしている痩せた男。 
メイクなのかも知れないが、彼には目の辺りに物凄いくまがあり、病的な感じを受けた。
そしてドラムは鋭い目つきをした筋肉質の大男で、何故か最初から上半身裸だった。 
首筋に龍のような模様のタトゥーをしている。 
その彼らに対して、集団ヒステリーのような歓声がひたすらぶつけられている。異様な雰囲気だ。 
「かなり久しぶりのライブらしい。このあたりじゃ伝説のパンクバンドらしいぞ」
師匠の耳打ちに返事をしようとするが、あまりの喧騒にかなり顔を近づけないと聞えそうになかった。 
「仕事なんかしてなさそうなのに、どうして活動してなかったんですか」 
「あのボーカルとベースが、交互に警察のご厄介になってたらしい」 
警察……
急に身の危険を感じた。この閉鎖空間に満ちる興奮状態に、逆に腹の底が冷えていくような感覚がある。 
「ボーカルのロンゲは喧嘩っぱやいヤツらしいから、傷害だったかな。
 ベースのテロリストみたいなマスク野郎はクスリだ」 
今日もキメて来てるんじゃないか?そんな目つきだ。 
「あと、ドラムの放浪癖。この三人のせいで、ほんとにたまにしか活動できてないっぽい」 
「ギターの人は?」
「あのハゲは良い人らしいぞ」
このメンバーの中で良い人ポジションということは、その分相当に苦労しているのだろう。
そう言われてみると眉間の皺は、ヤクザのような凄みというよりは哀愁を漂わせているような気がしてくる。

メンバーが全員配置につくと、MCなしでさっそく曲に入った。 
いきなり目が覚めるような乱れ打ちドラムソロから入り、ボーカルのシャウトと同時にギターが吼えた。 
そして割れるような歓声。 
歌は英語だ。知らない曲だったので、オリジナルなのかコピーなのかは分からない。
観客は前方に殺到し、みんな身を乗り出して、異様な興奮状態だ。
ステージとの間の鉄柵から、無数の手が空間を掴もうとするかのように伸ばされている。 

僕らは人口密度の低い会場の一番後ろの方にいたのに、それでも周囲で飛び跳ねている人たちに何度も足を踏まれた。
そのテンションバーストについていけないと、この場から逃げ出したくなってくる。 
わけの分からないうちに一曲目が終わり、すぐに二曲目が始まった。 
突き刺さるような激しいギターリフにボーカルの扇情的な声が乗っかり、
それに反応した人々とホール全体が、ぐわんぐわんとタテに揺れているような錯覚に陥る。 
ステージの前はすでにモッシュ状態だ。
歓喜の悲鳴なのか、押されて鉄柵に挟まれ痛くて上げている悲鳴なのか分からないが。
男も女も両手を振り乱して喚いている。 
「え?」 
その押し合い跳び跳ね回っている連中のあいだに、僕はふと違和感のあるものを見た。 
顔だ。顔が見えた。 
熱狂の狭間に張り付いた氷のようなもの。 
激しく動いている人々の背中と背中の間に、ほんの一瞬こちらを向いている顔を見たのだ。
それは最前列付近にいるのに、ステージに背を向ける格好で顔をこちらに向けていた。
蒼白く、そしてとても冷たい目をしているような気がした。 
隣の師匠の肘をつつく。
なんだか嫌な感じがした。
「分かってる」
師匠は短くそう言うと、ビールを飲み干して紙カップを握りつぶした。そして躊躇なく前へ行こうとする。 
しかし、前方には人の壁が出来ており、そこへ身体をねじ込んでいくのは至難の業だ。
僕も後に続いたが、肘打ちの嵐の中でもみくちゃにされちっとも進めない。 
割り込みを怒鳴られ、師匠が負けじと怒鳴り返す。
足を何度も踏まれた。爪先が痛い。親指の爪が割れたかも知れない。 
瞬間、ぞくりとした。耳になにか違和感のあるものが入ってきた。 
歌だ。
二曲目も英語の歌だったが、ボーカルの透き通った声に被るように別の歌が聴こえた。 
周囲の観客も曲に合わせて歌っているが、そんな声とは全く違う。
ホールのスピーカーを通した声だ。ボーカルの歌と同じ地平の。 
何小節か後でまた聴こえた。明らかに今のボーカルとは別の声だ。 
それに少し遅れる形で、ざわっという驚きのような衝動が前方から順に流れてくる。 
混線?

いや、違う。違うと思う。あまりに鮮明な音だからだ。 
ダーク…… 
ざわめきの中にそんな悲鳴が聞こえる。のけぞって耳を塞いでいる人もいた。 
ダーク。 
すぐ隣の人が呻いた。 
なんだ、いったい。 
僕は師匠の方を見た。
周囲のタテ乗りが凍りついたように止まり、その人の壁に身体を半分挟まれたまま身動き出来なくなっているようだ。
ステージの方に目をやると、ボーカルがきょとんとした顔をしてマイクを口から離した。
その瞬間、ぞわっとするような得体の知れない声がホール中に響いた。 
日本語だった。今度は音が割れ、内容はよく聞き取れなかった。 
恐慌が起ころうとしていた。それだけは分かる。 
恐怖に腹の底が冷えた。辺り一面から悲鳴が上がる。わけの分からないままとっさにその場を引こうとする。 
同じようになにが起こっているのか分からないらしい女性が、隣の連れらしい男の袖を引いている。
その男は両手を突き出して喚いた。 
その男や他の周囲の人間の悲鳴を解読すると、その内容はこうだ。 
レベルダークのボーカルの声が聴こえる。
数ヶ月前に泥酔して自動車を運転し、事故を起こして死んだはずの男の声が…… 
レベルダークというバンドはこのライブハウスのかつての常連で、M.C.D.とも何度か対バンをしていたらしい。
だが、確かにそのボーカルは死に、とっくに解散してしまっていると言うのだ。 

いつの間にか曲は止まっている。ステージの上のメンバーたちは戸惑ったように自分たちの周りを見回している。
また聴こえた。 
マイクは驚いたボーカルの手から床に落ちている。なのに歌が聴こえる。 
悲鳴が連鎖していく。 
まずい。
背筋に冷たいものが走る。この状態でパニックになれば無事では済まない。 
師匠の服の背中のあたりを掴んで、挟まれた人の壁から引き抜こうとする。早く逃げないと危険だ。
焦って指先から布地が抜ける。また掴もうとする。 
その時だ。 
ドラムセットに座っていた男が急に立ち上がり、ステージから飛び降りた。 

凄い形相で、最前列にいた観客に向かってなにごとか叫ぶ。その剣幕にたじろいでその周辺の人壁が割れた。 
ドラムの男は鉄柵を越え、そこへ飛び込んでいった。
そして人々の群を掻き分けながら斜めに進み、壁際にたどり着いた。僕から見て右手前方だ。 
その壁際に張り付くように、一人の男性の姿があった。その横顔には見覚えがあった。 
二曲目の冒頭、あの違和感を感じた時の顔。一人だけステージではなく客席の方を向いていたあの蒼白い顔だ。 
その顔が一瞬、怯えたように歪む。 
しかし次の瞬間、その顔があった場所に黒い突風のようなものが叩きつけられた。
破壊的な音がして、天井の照明が揺れた。 
ドラムの男が殴ったのだ。蒼白い顔を。いや、殴ったのは壁だ。顔は消えている。 
消えた?
壁際にいた人間が一人、消えてしまった。 
いや、人間ではなかったのか。 
立ち尽くす僕の目の前で、人の群が逆流を始めた。われ先にとみんな出口へ向かって逃げて行く。
その中でもみくちゃにされながら、僕はなんとかその場に留まろうとする。
なにが起こったのか。それが知りたくて。 

嵐のような時間が過ぎ、気がつくと僕の目の前には師匠の背中があった。 
もう人の壁はない。 
師匠はゆっくりと前方の壁際に進む。 
「夏雄」
そう呼びかけながら。 
ドラムの男は自分の右拳を見つめている。拳の先から肘の辺りまで血が滴っている。
壁にはその破壊の痕跡として大きな穴が残されている。凄まじい光景だった。 
男は拳から目を離し、師匠を見てにやりと笑う。
見上げるような長身だ。
シャツ一枚身に着けていない上半身には鍛え抜かれた筋肉が張り付いて、蒸気のような汗が立ち上っている。 
そいつが師匠にチケットを渡した男だ。それが分かった。 
心臓が冷たく高ぶる。どうしようもなく。 
こいつに、勝たなくてはならない。
僕にはそれが分かったのだった。

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