先生 中編 - 師匠シリーズ

661 :先生 中編  ◆oJUBn2VTGE:2009/08/28(金) 22:45:47 4kHIdhSj0 
その日は特に陽射しが強くて、やたらに暑い日で、
家で飼っていた犬も地べたにへばりついて、長い舌をしんどそうに出し入れしていた。
それでも僕ら子どもには関係がない。
夏休み学校から帰ってきて昼ご飯をかきこんでから、午後にシゲちゃんたちと合流すると、
裏山に作った秘密基地に連れて行かれた。
そして木切れや布で出来た狭い空間に顔を寄せ合うと、シゲちゃんが神妙な顔で言う。
「こいつももう、俺たちの仲間と認めていいんじゃないか」
僕のことだ。これで何度目だろう。
こんなことをシゲちゃんが言い出した時は、決まって『秘密の場所』に連れて行かれる。
それは沢蟹がたくさんとれる場所だったり、野苺が群生している藪だったり、カブト虫がうじゃうじゃいる木だったりした。
みんながうんうんと頷くと、シゲちゃんは目を瞑って、
「今日の夜、カオニュウドウの洞窟へ連れて行こう」と言った。
それを聞いた瞬間、みんなビクッとして急にそわそわし始めた。
そして、「今晩は親戚がくるから」だとか、「家のこと手伝えって言われてるから」なんていう言い訳を並べ立て始めた。
変にプライドが高いタロちゃんがその波に乗れない内に、
シゲちゃんがガシっとその首を腕に抱えて、「おまえはくるよな」と言った。
「え、あ、う……うん」と、明らかに狼狽しながらタロちゃんは頷き、しまったーという表情をした。
シゲちゃんは「へん、臆病もんは置いといて、三人で行こうぜ」と言って僕を見る。
たぶん怖いところなんだろうと思ったけれど、面白そうという思いが先に立った僕は、ピースサインなんか作って応えていた。
後で後悔するとも知らずに。

その夜、晩御飯も食べ終わり、もう寝ようかというころに、
納屋から懐中電灯を持ち出したシゲちゃんが僕に目配せした後、
子ども部屋の電気を消してから、ソロソロと忍び足で縁側を下りた。
庭の垣根のあいだから抜け出すのだ。こんな時間に遊びに行くといっても絶対に怒られる。 

どうせ怒られるなら、遊んだ後だ。
前にも夜中にホタルを見に行って、夜明け前に帰ってきて布団に入ったのにしっかりバレていて、
次の日、二人しておじさんにゲンコツを喰らったこともあった。
大人に見つからないように、懐中電灯はつけずに田んぼの中の道を歩く。
田舎の夜はとても暗く月も出てなかったので、なんども躓いてこけそうになりながら、僕たちは山へ向かった。

途中、一本杉のところでタロちゃんと合流し、三人になった僕らは、村の外れの小高い山へ分け入っていった。
ヤブ蚊をバチバチ叩きながら草を踏んづけて進むと、だんだんと心細くなってくる。
シゲちゃんとタロちゃんの二人が持ってきた懐中電灯だけが頼りで、
昼間きても足がすくみそうな、ほとんど獣道に近い山道を恐る恐る登っていく。
道みち教えてくれたカオニュウドウの話は不気味で、
これからそこへ行くのかと思うと、そのままUターンして帰りたくもなったけれど、
そのカオニュドウなるものを見たい、という好奇心がわずかに勝っていたのだろう。
『顔入道』は、この村に古くから語り継がれてきた伝承なのだそうだ。

昔、えらいお坊さんが、山の中で木食(もくじき)をしたあと、そのまま山中の洞窟で即身仏になったらしいのだけれど、
『入ってきてはならぬ』と言われていたにも関わらず、村の人が即身仏を拝もうとして中に入っていったところ、
途中で急に洞窟の天井が崩れてしまい、その先へ行けなくなってしまったのだそうだ。
その洞窟を塞いでいる崩れた岩がまんまるで、
まるでふくふくとしていた、生前のそのお坊さんの顔のようだというので、
村の人が彼を偲んで岩に絵を描いた。
お坊さんの顔の絵を。
ありがたい即身仏には会えないけれど、その岩に描かれた顔を拝みに、たくさんの村人が洞窟にお参りしたそうだ。
時が経ち、やがてその習慣も絶えて、
一部の物好きだけが時どき興味本位で見に行くだけになったころ、その岩に異変が起こった。
動かないはずの顔の絵が、ある時突然怒りの表情に変わっていたのだという。
それを見た村の若者は、なにか良くないことの起こる前触れではないかと村の仲間に告げたけれど、相手にされなかった。

ところがその年、過酷な日照りが続いて村は飢饉に見舞われ、多くの村人が命を落としてしまった。
いつのまにか元の表情に戻っていた洞窟の顔は、それ以来また村人の畏敬の対象になった。
そして顔入道と呼ばれて、年に数回お祭りとして顔の塗りなおしが行われては、村の吉兆を占なったのだそうだ。

「今でも?」
僕が訊ねるとシゲちゃんは首を振る。
「もうやってない。というか、みんな知らない」と言う。
どうやらその時代も過ぎて、村に人が少なくなった今では、
顔入道のお祭りが廃れたどころか、その洞窟自体ほとんど知られていないのだそうだ。
だからこそ『仲間だけの秘密の場所』なのだろう。
「じいちゃんばあちゃん連中でも、あんまり知らないんじゃないかな」とシゲちゃんは言う。
けれど、どこからかその顔入道の噂を聞きつけたシゲちゃんは、春ごろに実際に見に行ったのだそうだ。
タロちゃんたち数人の仲間と。
「どうだった」
ゴクリと唾を飲んだ僕に、シゲちゃんとタロちゃんは顔を見合わせて、
「ホントに岩に顔が描いてた。けど怒ってなかった」と言った。
本当にあるんだ。僕はやっぱりそれが見てみたくなった。
「で、でもさ、今度はさ、怒ってたら、どうする」
タロちゃんが落ち着かない様子で手に持った懐中電灯を揺らす。
シゲちゃんは鼻で笑って、「そんなことあるもんか」と言った。
夜の闇になんの鳥だかわからない鳴き声が時どき響き、僕はそのたびに身体を硬くする。
怯える気持ちを叱咤しながらガサガサと草を掻き分けて、ひたすら懐中電灯の光を追いかけた。

やがて山の中腹あたりで、木々が開けた場所に出る。「あそこだ」とシゲちゃんが光を向けた。
ゴツゴツした岩が転がっているあたりに、少し奥まった洞窟の入り口がひっそりと佇んでいた。
思わず踏み出す足に力が入る。
すぐ前が2メートルくらいの崖になっているので、回り込んで近づく。
入り口の前に立った時、タロちゃんがおずおずと口を開いた。

「なあ、中には入らなくていいだろ」
「なに言ってんだ」
「いいだろ。場所は教えたんだし、あとは中入って真っ直ぐだし」
タロちゃんは本格的にビビってしまっているらしい。
ここまできたのは、当初の目的である僕を顔入道の所へ連れて行くためだとあくまで主張するタロちゃんを、
シゲちゃんが「臆病もん」と非難する。
その怯えように僕まで怖くなってくる。
「ようし、じゃあ俺たちが先に入ってやるから、そこで待ってろ。帰ってきたら今度はお前の番だぞ」
とタロちゃんを睨みつけて、シゲちゃんは僕を促した。
タロちゃんはホッとした顔で「ああ、いいよ」と、妙に強気な口調で返す。
なるほど、タロちゃんからしたら、洞窟の中の顔の表情さえ確認できたら良いのだろう。怒ってさえなければ。
岩に描かれた顔が変わるなんて、そんなことあるわけないと分かっているのに、
頭のどこかでそれを想像して、足が動かないのだ。
それは僕もよく分かる。

暗闇に包まれて、ほんの少し奥も見えない洞窟の中。
振り向くと、わずかな星明りの下に四方の山々が、黒い胴体をのっぺりと横にしている。
人間の光なんてここからはなにも見えない。
何百年も前にこの洞窟の奥へと消えたお坊さん。
その人はそれからこの世界に戻ることなく、即身仏になったんだという。
即身仏ってのは、ようするにミイラのことだ。生きたまま断食をし続けて、そのまま死んでしまうってこと。
どんな気分なんだろう。
瞑想をしたままお腹が減りすぎて、だんだんほとんど死んじゃったみたいになってきて、ある瞬間に死の境目を越えてしまう。
その時って、どんな気分だろう。そのことを想像すると、どうしようもなくゾッとしてしまった。
「行こうぜ」とシゲちゃんが僕をつつく。
迷うまもなく、僕はぐいぐいと背中を押されるように洞窟の中へ連れて行かれる。
タロちゃんは本当に入ってこない気のようだ。
足元には小さな石がゴロゴロ転がっていて、足の裏の変な所で踏んでしまうとやけに痛かった。

大人でもなんとか屈まずに通れるくらいの高さの洞窟は、ところどころ曲がりくねっていて、
懐中電灯を前に向けていても先はあんまり見通せない。
前を行くシゲちゃんがソロソロと足を進め、その爪先が石を蹴っ飛ばすたびに、僕はその音に驚いて縮み上がった。
二人並んで進むには狭すぎる。奥からはかすかな空気の流れと、カビ臭いような嫌な匂いが漂ってくる。
ドキドキと心臓が鳴る。
「もうすぐだ。ちゃんと歩けよ」と、シゲちゃんが僕を励ます。
僕の目は曲がりくねる暗闇に、ありもしない幻を見ていた。それはヒラヒラとしている。
んん?と思ってじっと見ていると、赤いような灰色のような布が、曲がり角の先に見え隠れしている。
何度角を曲がっても、それはヒラヒラとその先へ消えて行く。
どうしてこんな幻を見るんだろうと、僕はぼんやり考えていた。
その赤い布が着物の裾に見えた時、初めてこれは幻じゃないんじゃないかと思えて怖くなった。
シゲちゃんは見えていないのか、なにも言わない。
でも、それはどうしようもなくヒラヒラしていて、
僕の中では、一体なんなんだと叫びながら走って追いかけたい、という思いと、
このまま後退して逃げ出したい気持ちがせめぎあっていた。
ひんやりした夜露が天井からポトリと落ちて、それが足首に跳ねる。
闇の中に僕とシゲちゃんの息遣いだけが流れて、その向こうに赤い着物の裾がヒラヒラと揺らめく。
それはやっぱり現実感が薄くて、
けれど即身仏があいまいな生と死の境をすぅっと越えたように、この洞窟にもどこからかそんな境目があって、
それをすぅっと越えた瞬間に、あの幻が現実になって、今度は僕らの存在が薄くなっていくんじゃないかな。
なんてことを色々考える。なんだかくらくらしてきた。
「ついた」
シゲちゃんが足を止める。僕はその肩越しに覗く。
足元を照らしていた懐中電灯を、ゆっくりと上げていく。暗闇の中に白いものが浮かび上がる。
心臓が飛び跳ねた。ゾゾゾッと背筋に悪寒が走る。
白いものは円形の洞窟の断面全体に広がっていて、とおせんぼをするように立ち塞がっている。
丸い岩ががっしりと嵌り込んでいるのだ。こんなに大きいとは思わなかった。
目の前いっぱいにその白いものがどっしりと構えている。 

顔だ。
顔入道。生首のように洞窟の奥に詰まっている岩。
人工の光に照らされて、その白い表情が浮かび上がる。
人間のものというには大きすぎるその眉間には皺が寄り、口はへの字に結ばれて、鼻の頭にもヨコに皺が入っている。
そして、その目はぐりんと剥かれて、こちらを凄い迫力で睨んでいる……
叫びそうになった僕を抑えてくれたのは、シゲちゃんの一言だった。
「よかった。まだ怒ってない」
ふっ、と息が漏れる。シゲちゃんの声も震えているけど、力強い言葉だった。
確かに顔は怒りを堪えているように見える。
シゲちゃんは「こないだきた時も、こんなだった」と言って、強張った顔で笑う。
顔入道は良くないことが起こる前触れに、怒りの顔に変わるという。
岩に描かれた顔の表情が変わるなんてあるもんかと思うのとは別に、
心のどこかでは、ひょっとしてと怯えざるを得なかったのだけれど、
これを見ると、タロちゃんが洞窟に入るのを嫌がった訳がわかる。
昔からそうだったのか、
それとも、お祭りとして顔の塗り替えがされていた時に、最後の誰かがこんな風にしてしまったのかは分からないけれど、
まるでこれから怒り出す寸前のような顔をしているのだ。
これではもう一度見にこようという勇気はなかなかわかない。
しまった。想像してしまった。僕の膝はぶるぶると震え始める。
今にも顔が変わって怒り出すところを想像してしまったのだ。もういけない。だめだ。
のっぺりした丸い岩に描かれただけの顔がぐわぐわと蠢いて、なにか恐ろしい怒鳴り声を上げる、
そんな想像が頭の中で繰り返しやってくるのだ。
目には炎が宿り、引き結ばれた口は開いて、赤い喉と牙が……
空気はシーンと冷えている。張り詰めたような静けさだった。
対峙する白い顔のすぐ下には尖った石が突き出ていて、その石には白いものがこびりついている。
岩に顔を描いた時の塗料がついてしまったに違いないのだが、
その時の僕には、まるで折れた牙のようにしか見えなかった。

僕はシゲちゃんをつつき、「行こうよ」と言った。シゲちゃんも「あ、ああ」と頷いて後ずさりを始める。
だんだんと遠ざかり、顔が曲がり角に隠れて見えなくなるまで、僕らは奥へ懐中電灯を向けたまま目を逸らせなかった。
目を逸らしたとたんに、その怒りが爆発するような気がして。
その顔の向こう、今は誰も行けなくなってしまった洞窟の最深部には、お坊さんの即身仏があるはずだった。
けれどその時は、そんなことまったく頭の外だった。顔だ。顔。顔。顔入道。
曲がり角で顔が見えなくなると僕らは振り向き、早足で元きた道を戻り始めた。
僕が先頭でシゲちゃんがシンガリ。絶対にシンガリはいやだ。
白くて長い手が洞窟の奥から伸びてきて、足首をガシッとつかまれそうで。
でも懐中電灯を持っているのはシゲちゃんだった。
一本道だけれど完全に真っ暗な洞窟だったので、足元を照らさないと危ない。
息を殺しながら緊張して歩いていると、シゲちゃんが懐中電灯を渡してくれた。
ギリギリすれ違うくらいの広さはあったのに、シゲちゃんは明かりをくれた上、シンガリも引き受けてくれたのだ。
親分だった。やっぱり。

なんどか躓きそうになりながらも、ようやく僕らは洞窟の外へ出てこれた。
僕らの姿を見て、タロちゃんがビクッとする。
僕は息を整えながら、なにごともなかったことに安堵していた。
そしてシゲちゃんを振り返り、親指を上げて見せる。シゲちゃんもニッと笑うと、同じように親指を上げた。
これで仲間だ。そう言われた気がした。
「どうだった」とタロちゃんが訊く。
「どうってことない。こないだと一緒」と、シゲちゃんはタロちゃんの背中を叩く。
「トカイもんが入ったんだ、約束通りお前も行けよな」
と言われて、タロちゃんは生唾を飲みながら、こっくりと頷いた。
やっぱり一人で?と言いたげな視線をシゲちゃんに向けながら、
未練がましそうに懐中電灯を一本携えて、タロちゃんは入り口に歩を進める。
可哀相だが仕方がない。シゲちゃんも付いて行ってあげる気はないようだ。

観念したタロちゃんが洞窟の中に一人で消えて行き、僕らは外でじっと待っていた。
そのあいだ、ふとあの赤い着物の幻のことを考える。
洞窟の奥は顔入道が塞いでいて、そこまでの道は枝もない一本道だったし、気がつかずにすれ違うことだって出来ない。
なのに僕らは結局、洞窟の奥ではなにも見なかった。
ということは、やっぱりあれは幻だったんだ。
怖さのせいで見えるはずのないものを見てしまう、というのはたまにあるかも知れないけど、
あの洞窟に相応しい幻は、お坊さんの姿のような気がして、
どうしてあんな赤い着物を見てしまったのか分からず、その理由をぼんやりと考えていた。

いきなりだ。
「ギャーッ」という声が洞窟の中から聞こえた。僕らは思わず身構える。
シゲちゃんが懐中電灯を洞窟の奥に向けて、「どうした」と叫ぶ。
かすかな空気の振動があり、奥から誰かが走ってくるのが分かる。
緊張で手のひらに汗が滲む。これからなにか恐ろしいものが飛び出してくる気がして、足が竦みそうになる。
シゲちゃんがゆっくりと洞窟の中に入ろうとする。
僕はそれを遠くから見ていると、暗闇の中から揺れる光が見えて、
次の瞬間なにかがシゲちゃんを弾き飛ばし、僕の方へ向かって突っ込んできた。
慌てて身体を捻ってそれを避ける。
その後ろ姿に、あ、タロちゃんだ、と思うまもなく、
それは目の前の崖で止まり切れずに、足を滑らせて転がり落ちて行った。
悲鳴が遠ざかって行き、すぐに身体を立て直したシゲちゃんが崖に駆け寄る。
すぐに転がる音は止まったけれど、ちょっとした高さだ。ただでは済まないだろう。
けれど、その下から泣き声が聞こえてきたので僕はホッとした。
シゲちゃんが「待ってろ」と言って、崖を回り込んで助けに行く。
僕も追いかけようとして、ギクッと背後を振り返る。
洞窟の口がさっきと同じように開いていて、その奥にはなにごともなかったかのように、暗く静かな闇があるだけだ。
でもタロちゃんは、なにかに怯えて逃げてきた。そして勢いあまって崖へ。
僕はガクガクと全身が震え始め、なんとか視線を洞窟から逸らし、そこから逃げるようにシゲちゃんを追いかけた。

全身を強く打ったタロちゃんをシゲちゃんが担いで、僕らは必死に山を降りた。
公衆電話の置いてある所までたどり着くと、そこから救急車を呼んだ。
深夜だったけれど、シゲちゃんの家とタロちゃんの家にそれぞれ連絡が行き、僕らはこっぴどく叱られて、
病院に駆けつけたタロちゃんの家族に謝ったり、事情を聞かれたりして、
家に帰って布団に入ったのは明け方近くだった。
興奮していたけれど、よほど疲れていたのか僕は泥のように眠った。

昼ごろに目が覚めてから、布団の上に身体を起こした。
昼に起きるなんてめったにないことで、やっぱり朝とは違う感じがして、寝起きの清清しさはない。
僕は昨日の夜にあったことを思い出そうとする。
あの顔入道の洞窟で、僕とシゲちゃんは怒りを堪えているような顔を見た。
そして、入れ替わりに入っていったタロちゃんが、悲鳴を上げて飛び出てきて、勢いあまって崖から落ちた。
幸い怪我は思ったほど大したことがなく、右肩の骨にちょっとヒビが入ってるけど、あとは打撲だそうで、
しばらく入院したら戻ってこられるとのことだった。
だけど、僕には気になることがあった。
痛がって呻くタロちゃんをシゲちゃんが担いで山を降りていた時、タロちゃんが繰り返し変なことを呟いていたのだ。
怒った。顔入道が怒った。
そんなことをうわ言のように繰り返していたのだ。
それを聞いた時の僕は、とにかくあの洞窟から早く遠ざかりたくてたまらなかった。
今にも巨大な顔が、憤怒の表情で闇の中を追いかけてきそうな気がして。
夜が明けて冷静になった今振り返ると、不思議なことだと思う。
あの洞窟は一本道で、ほかの場所には通じてないはずなのだ。
僕とシゲちゃんが顔を見てから、タロちゃんが入れ替わりに洞窟に入って行くまで、ほとんど時間は経ってないし、
僕とシゲちゃんが外で待っているあいだ、当然ほかの誰も入ってはいない。
だからタロちゃんは一人で洞窟に入り、行き止まりの場所で顔入道を見てから、戻ってきただけのはずなのだ。
僕らが見た時には怒っていなかった顔入道が、タロちゃんの時には怒っていたなんて、そんなことあるはずがない。
考えてもよくわからない。タロちゃんは一体なにを見たのだろう。
聞いてみたいけれど、今は隣町の病院だ。そんな変なことを聞きに行けない。 

「起きたか」
考え込んでいると、おじさんがやってきて「飯を食え」と言う。
シゲちゃんも起きてきて一緒に食べていると、おじさんにもう一度昨日のことを聞かれた。
「どうして夜にあんな山に登ったのか」と。
半分はお説教だ。僕らは口裏を合わせるように、顔入道のことは言わなかった。
そうだろう。秘密を守るのは仲間の証なのだから。
ただ探検したかった。もうしない。ごめんなさい。そんなことを何度となく繰り返して、乗り切るしかなかった。

昼ご飯を食べ終わると、じいちゃんの部屋に呼ばれた。
僕とシゲちゃんは正座をさせられて、じいちゃんの険しい目にじっと見つめられる。
お説教なら別々にせずに一度にしてくれよ、と思いながら俯いていた。
「顔入道さんだな」と、じいちゃんは言った。
僕は驚いて顔を上げる。じいちゃんは顔入道のことを知っていたらしい。
「わしらも子どもの時分に、見に行ったものだが」と、眉間に皺を寄せた。
そして、「あれは、おそろしいものだ」と呟く。
どうやらじいちゃんの子どものころにも、顔入道が怒ったことがあるらしい。
その時にはなにか大変なことが村に起こったそうだが、詳しくは教えてくれなかった。
顔入道さんにはもう近づいてはならないときつく厳命されて、僕らは釈放された。
さすがにシゲちゃんもしょげかえっていて、元気がなかった。
竹ヤブ人形事件の時よりも、大ごとになってしまったからだ。
次のイタズラを思いついて目の奥がぴかりとするのは、まだ先のことだろうと僕は思った。

その日は結局、夏休み学校には行けなかった。午前中を寝て過ごしてしまったのだから仕方がない。
僕は昨日あったことを先生に聞いてほしかった。こんな不思議なことが世の中にあるんだということを。
けれど同時にこうも思う。
先生ならこの出来事に、僕には思いもつかなかったような答えを見つけ出してくれるんじゃないかと。

前に一度、午後にもあの学校に様子を見に行ったことがあるけれど、先生はいなかった。
お母さんにつきそって、病院にでも行っているのかも知れない。
時間がゆったりと流れる夏の家の中で、早く明日にならないかと僕はやきもきしていた。
シゲちゃんはその後、元気がないなりにどこかに遊びに行ってしまったが、
僕はそんな気になれず、家で宿題をぽつぽつと進めていた。
けれどだんだんと心の中にある欲求がわいてきて、それが大きくなり始めた。
昼間なら、あんまり怖くないよな。
そんなことを思ってしまったのだ。つまり顔入道を、タロちゃんが見たものを確かめに行こうというのだ。
さすがにこれは悩んだ。じいちゃんに『あれは、おそろしいものだ』なんて言われたばかりなのだ。
でも、見たかった。知りたかった。
タロちゃんは一体なにを見たのか。
一度逃げ出した場所にもう一回挑戦することで、手に入るものもある。
例えば、鎮守の森の奥に進むことで先生に会えたようにだ。
バシン、とノートを閉じた。ようし、やってやる。
僕は立ち上がった。

夜と昼間では山道の印象が違っていて、何度も迷いそうになりながらも、僕はなんとか顔入道の洞窟にたどりついた。
ぜえぜえと息が切れる。昨日の夜よりしんどいのは、太陽の光が木の枝越しに凶暴に降り注いでいるからだろう。
樹木が開け、山肌が見える場所で僕は額をぬぐう。
小さな崖になっている場所が見える。昨日タロちゃんが飛び出して落っこちた所だ。
タロちゃんがゴロゴロと転がって、身体ごとぶつかって止まった岩もその先にある。
そのどっしりした岩の形を見ていると、今さらながらゾッとする。
タロちゃんはそんなにまで怯えて、いったいなにから逃げたかったのだろう。
昼間でも暗い口を開けて洞窟が僕の目の前にあった。
覚悟を決めていてもドキドキしてくる。
顔入道は怒っているかも知れない。それがどんな顔なのかあれこれ想像する。
今のうちに最悪の事態を想定しておけば、ビビって崖から落っこちたりはしないだろう。

あらゆる怒りの表情を十分にイメージしてから、僕は深呼吸を五回した。
五回した後でもう三回して、それからもう後四回くらいしてから、洞窟に足を踏み入れた。
太陽の光が届かないので中はひんやりしている。
外の熱気が追いかけてくるけれど、それも何度か角を曲がると去って行ってしまった。
リュックサックから懐中電灯を取り出す。
シゲちゃんが昨日持ち出したやつが見あたらなかったので、押入で見つけたもう一回り小さいやつだ。
心細いような光の筋が目の前を照らすけれど、洞窟の中はぐねぐねと折れ曲がっているので見通しが悪く、
いつ曲がり角の向こうに、なにか恐いものが飛び出してくるか分からない。
首筋のあたりをぞわぞわさせながら、僕は洞窟の奥へと進んでいく。
『岩でできた顔が怒り出すなんてあるわけない』
そんな考えが浮かぶたびに、
『いや、この世ではなにが起こるか分からない』と気を引き締める。
そう。なにが起こるか分からないのだ。

隠れたような枝道がないか慎重に探りながら、僕は深く深く洞窟へ潜って行った。
そしてどこか見覚えがある曲がり角を回った時、目の前に白いものが飛び込んできた。
ビクゥッ、と背中が伸びる。
顔だ。顔入道。
昨日と同じように洞窟にみっしりとはまり込んで、とおせんぼをしているその白い顔を見た瞬間、
僕は恐怖というよりも吐き気を催した。
なんだこれは?
あれほどイメージトレーニングを繰り返したにも関わらず、まったく想像していなかった不気味な姿がそこにあった。
足下から天井まで伸びる巨大な顔は、笑っていたのだ。
目を細め、口元の皺は縦に真っ直ぐではなく、横にふっくらと広がっている。
ほっぺたは丸々として、口の端は優しげに上がっている。
これこそが、この洞窟の先で即身仏になっているというお坊さんの、普段の顔だったのだろうか。
けれどそのえびす顔がもたらす印象は、吐き気を催すような奇怪さだった。
僕とシゲちゃんは二人でここまできて、『怒りをこらえる顔』に会った。
そして、その後入れ替わりにタロちゃんは一人でここまできて、『怒った顔』に会ったという。
そして次の日の昼、今僕は笑っている顔と向かい合っている。

これはいったいなんなのだろう。
足がガクガクと震える。目の前で白い顔が、ぐにゃぐにゃと飴のように形を変えていくような錯覚がある。
……でもそれは本当に錯覚だろうか。
僕は泣きそうになりながらも、『これだけはする』と決めていた確認作業を断行した。
生唾を飲みながら、震える足を叱咤して少しずつ顔に近づいていく。
顔が大きくなっていくにつれ、この狭い空間が、この世から切り離された異空間のような気がしてくる。
どんなことが起こっても不思議ではないような。
それでも僕は自分の顔を突き出し、顔入道の表面に光をあてる。
よく見ると、ところどころボロボロと塗装が剥げ、白い顔にも黒い汚れが目立った。
その地肌は確かに岩で、その上に描かれた顔は、昨日今日のものではないのは明らかだった。
何年も、いや何十年も前から同じ顔で、ここにこうして洞窟に挟まっているはずのものだった。
顔の真下には、折れた歯のような塗料のついた尖った岩。
笑っていても、ついさっきまで牙のあった証のように青白く光っている。
僕は今までとは違う別の寒気に襲われ、とっさに逃げ出した。くるりと振り返って、きた道をひたすら戻る。
うわあ、という叫び声を上げたと思う。ギャー、だったかも知れない。
とにかく、僕は何度も転けそうになりながら走り続けた。
白い手が追いかけてくる幻想が、昨日よりもくっきりと頭に浮かんだ。恐い。恐い。なんだこれ。なんだこれ。
それでも、射し込む太陽の光が道の先に見えた瞬間にブレーキをかけた。
洞窟の外まで飛び出した僕は、崖の前でピタリと止まることができた。
昼間だったから良かったのだ。
夜だったら、洞窟の続きのような暗い空の下に、両手両足を泳がせていたかも知れない。
背中に異様な気配を感じる。ハッと振り返ると、洞窟の奥に赤い着物の裾が翻ったような気がした。
それはすぐに記憶の彼方へ消えて、現実だったのか幻だったのかわからなくなってしまう。
僕はガチガチと震えながら、洞窟の入り口から中へ小声で問いかけた。
「誰かいるの」

いるはずはなかった。中は一本道なのだ。行き止まりにはあの顔入道の岩がつっかえている。
がっしりと地面にも壁にも天井にも食い込んでいて、とても動きそうには見えなかった。
だから洞窟の途中に誰もいなかったからと言って、その岩の奥に誰かが隠れているはずはない。
こういうのをなんて言うんだっけ。こないだテレビでやっていた。そう。密室。密室だ。
密室の中には、生きたままミイラになったお坊さんがいるはずだ。
真っ暗闇の中で座禅を組み、もう二度と変わらない表情を顔に貼り付けたままで。
その顔は怒っているのだろうか。笑っているのだろうか。
ああっ。
なんだかたまらなくなり、僕は逃げ出した。
崖を回り込み、山道を駆け下りる。振り返らずに。汗を飛び散らせて。
ぜいぜい言いながらひたすら走り続けていると、頭が勝手に想像し始める。
顔入道が怒ったら、悪いことが起きる。
じいちゃんが『あれはおそろしいものだ』と言っていた。本当なのかも知れない。
ひょっとして、タロちゃんが崖から落ちたのだって、その『悪いこと』に入っているのかも知れない。
目に見えない手が、崖の前でその背中を押したのかも知れない。
でもさっき見た顔入道は笑っていた。
けれど、それがなにか楽しいことを暗示しているような気がしない。
いつもは誰もこないはずの暗い洞窟の奥底で、どうして笑っていたのだろう。
想像が顔入道の笑顔を大げさに変形させ、視界一杯に、いや頭の中一杯に広がって行く。
その奇怪な姿を僕は振り払おうと振り払おうと、木の根を飛び越えながら駆け続けた。

その夜、晩ご飯を食べている時におじさんから、タロちゃんが三,四日後には退院できるらしいと伝えられた。
僕もホッとしたけれど、首謀者であり親分でもあるシゲちゃんが一番ホッとした顔をしていた。

食べ終わってから僕はシゲちゃんに、顔入道の洞窟にもう一度行ったことを話そうと思ったけれど、
「疲れたからもう寝る」と言って、あっというまに布団に入られてしまった。
僕はどういうわけか、顔入道の笑顔のことをほかの人に話すのが妙に恐い気がしたので、
「寝ちゃったからしかたないや」と自分に言い訳をしながら、居間でテレビを見ることにした。
ブラウン管の向こう側ではプロレス中継をやっていた。
恐い顔の外国人レスラーがマットの中や外で大暴れしていたけれど、
刻一刻とその表情は変わり、どの瞬間にも同じ顔はなかった。
睨む顔、強がる顔、痛がる顔、笑う顔、吠える顔。
繕い物をしているばあちゃんと並んで、僕はテレビの前にずっと座っていた。

次の日、少し元気になったシゲちゃんが、朝から外へ遊びに行ったのを見送ってから、僕は夏休み学校へ行く準備を始めた。
先生にどうやって洞窟のことを話そうか考えながら、一応宿題をやるふりをしていると、
ばあちゃんがハタキを持って部屋に入ってきた。
パタパタと家具や壁を叩いて回り、ちょっと重い物をどかす時に「エッヘ」と言いながら、小一時間ハタキをかけていた。
僕は早く出て行きたかったけれど、なんとなくタイミングを失って、どんどん埃っぽくなっていく部屋の中でイライラしていた。
すると、一通りハタキを掛け終わったのか、ばあちゃんが腰を叩きながら目の前に立つと、僕の顔をまじまじと見つめてきた。
そして、「あんた、つかれちょらんか」と言った。
この二,三日のあいだは、確かに色々あって疲れている。
それでもタロちゃんがすぐ退院できると分かったし、昨日会えなかった先生に早く会いたかった。
会って話をしたかった。
僕は「別に」と言って立ち上がり、「散歩してくる」とばあちゃんを残して部屋を出た。
外はあいかわらずカンカンと日が照っていて、半そでから伸びる腕の何重にもなった日焼けの跡が疼いた。

顔見知りのおばさんとすれ違って、「おはようございます」なんて挨拶しながら、
なんにもない道をてくてく歩いていると、なんだか足が重いような気がする。
やっぱり疲れてるな。朝ご飯もお茶碗一杯しか食べられなかったし。
それでも僕の足は素晴らしく早く動いた。入道雲が北の山の稜線に大きな影を落としている、その先を目指して。

アッバース朝や後ウマイヤ朝、ファーティマ朝など分裂・建国を繰り返したイスラム国家は、
トルコやイベリア半島、北インドなどに確実に勢力を伸ばしていった。
その中で、ローマ帝国の後継者ビザンツ帝国の領土に侵攻したセルジューク朝は、
キリスト教の聖地エルサレムまでも圧迫したので、
ローマ教皇の号令の下に、ついに西方諸国が腰を上げ十字軍が結成された。
成功に終わった第一回遠征の後も十字軍は、トルコ人やエジプトのサラディンなど相手を変えながら、
第二、第三、第四と続いて結局第七回くらいまでいったらしいけれど、イスラム勢力との決着はつかなかった。
それはそうだろう。
今だってターバンを巻いたりスカーフをしたりして、『インシュアラー』なんて言っている人がたくさんいる所を、
テレビで見るんだから。
みんなやられちゃったはずはない。
あの人たちが、先生から教えてもらう歴史の先にいるのだ。
そう思うと、先生の口から語られる遠い世界の出来事も、
けっしてファンタジーの世界の物語ではなく、この僕の生きている今に繋がっているのだと実感する。
凄いことが起きたら、その凄いことが今の人間の社会のどこかに影響している。
だから僕はほかの科目にはないくらい、ハラハラドキドキしながら先生の授業を受けた。
漢字がたくさん出てくる中国の歴史は、さわりだけで勘弁してもらったけれど。

「で、どうしたの」
世界史の講義が終わった休み時間、洞窟であったことをどう話そうか悩んでいる最中に、先生の方から訊いてきた。
おかげで僕は、ビビって逃げたことを上手くごまかせずに、全部話してしまった。
かっこ悪いな。ゲンメツしたかな。

先生は窓際のいつもの席に腰掛けて、真剣な顔をして聞いている。
花柄の白い服が、射し込む太陽の光を反射してキラキラ輝いて見えた。
今朝、先生は昨日僕がこなかったことを怒りもせずに、いつもの笑顔で二階の窓から校庭の僕に手を振ってくれた。
今日もだけど、昨日もほかの子はこなかったらしいから、
きっと先生は、午前中ずっと教室で僕を待っていたはずなのだ。
二階の窓際で頬杖をついて、ぼうっと校庭を見ながら。それを思うと、僕は胸が痛くなる。
先生みたいな若くてきれいで頭が良くて優しい人が、
こんな誰もこない山の中で、じっと僕みたいなただの子どもを待ってるなんて。
先生は言わないけれど、きっと東京でしたいことがあったんだろう。好きな人だっていたかも知れない。
そんなものを全部捨ててこの田舎へ帰ってきて、
夏のあいだずっとこんなオンボロの学校で、たった数人の生徒を毎日待っているのだ。
僕が算数の問題を解いているあいだ、時どき先生は窓の外を見ながらぼんやりしている。
そんな時、先生はそこにいるのに、そこにいないような感じがする。
その横顔を覗き見するたびに、僕はなんだか悲しくなるのだった。
「そんなことがあったの」
先生は顎の先に折り曲げた人差し指をあてて頷いた。
「顔入道さんのことは聞いたことがあるわ。
 わたしが子どものころにも、男の子なんかは肝試しに行っていたみたいね。
 わたしは見たことないけど、不思議な話ね」
先生はそう呟いて、あのぼんやりした表情を一瞬だけ見せた。
僕は何故か慌てて、「こんなことってあると思う?」と問いかけた。
先生は我に返ったように目を大きく開くと、
「この世の中は不思議なことだらけよ。
 とくにこんな田舎にはね、生活のすぐそばにおかしな迷信や言い伝えがあるの。
 学校で習う物理や算数よりもずっと近くに。
 私も都会の生活が長くなっていくにつれて、忘れそうになっていたけど」
先生がふっと息をつくと、外はうるさいくらいジワジワジワジワ蝉が鳴いていたのに、教室の中は変にシーンとした。

ただの岩が怒ったり笑ったりするのも、学校では習わない不思議な力が働いているからだろうか。
ただの森を、鎮守の森なんて呼んで神社を建てるのも? 
お仕置きをするため、暗く狭い場所へ僕を押し込める父親の顔と、
暗闇でひとりになった後で、誰かがいつのまにか背後にいるような、あの振り向けない感じが頭の中をよぎった。
「でも理科や算数を教える先生としては、それで終わりってわけにはいかないわね」
その時、僕が感じたことをなんて言えばいいんだろう。
先生はゆっくりと立ち上がり、僕のまだ知らないことを楽しく、そして優しく教えてくれるあの素敵な表情をした。
僕をどうしようもなくワクワクさせてくれる大好きな顔だ。
先生は教壇に立ってチョークを握り、黒板にスッスッと手を走らせる。
その指が描き出す白くて涼しげな線を、僕は息をするのも忘れてじっと見つめていた。

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