ともだち - 師匠シリーズ

256 :ともだち  ◆oJUBn2VTGE :2007/08/22(水) 22:55:24 ID:B6d5URPx0

大学2回の冬。 
昼下がりに自転車をこいで幼稚園の前を通りがかった時、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
白のペンキで塗られた背の低い壁のそばに立って、向こう側をじっと見ている。 
住んでいるアパートの近くだったのでまさかとは思ったが、やはり俺のオカルト道の師匠だった。 
子どもたちが園庭で遊んでいる様子を、一心に見つめている20代半ばの男の姿を、いったいどう表現すればいいのか。
こちらに気づいてないようなので、曲がり角のあたりで自転車を止めたまま様子を伺っていると、
やがて先生に見つかったようで、「違うんです」と聞こえもしない距離で言い訳をしながらこっちに逃げてきた。
目があった瞬間、実に見事なバツの悪い顔をして「違うんだ」と言い、
そしてもう一度「違うんだ」と言いながら、曲がり角の塀の向こうに身を隠した。
俺もつられてそちらに引っ込む。
「あの子を見てただけなんだ」
遠くの園庭を指差しているが、ここからではうまく見えない。 
「あの青いタイヤの所で、地面に絵を描いてる女の子」 
首を伸ばしても、角度的に木やら壁やらが邪魔でさっぱりわからない。 
なにより、なにも違わない。
「いつから見てたんですか」との問いに、「ん、1ヶ月くらい前から」とあっさり答え、ますます俺の腰を引かせてくれた。
「そんなにかわいいんですか」 
言葉を選んで聞いたつもりだったが、
「かわいいかと問われればイエスだが、『そんなに』って頭につけられるとすごく引っ掛かる」
と、不快そうな顔をする。

「1ヶ月前、最初に足を止めたのはあの子じゃなく、あの子のそばにいた奇妙な物体のためだよ」 
物体という表現がなんだか気持ち悪い。
「それは見るからにこの世のものではないんだけど、あの子はそれを認識していながら、怯えている様子はなかった。
 他の子や先生には、見えてすらいないようだった」 
その子はいつもひとりで遊んでいたという。 
砂場あそびの仲間に誘われることもなく、かといって他の園児からからかわれることもなく、
ただひたすらひとりで絵を描いている。 
親が迎えに来る時刻になるまでずっとそうしているのだという。 
「他の子が帰っても、なかなかあの子の親は来ないんだ。
 日が暮れそうになってから、ようやく若い母親がやって来るんだけど、なんていうか、まともな親じゃないね。
 あの子の顔を見ないし、手の引き方なんて、地面に生えた雑草を引っこ抜くみたいな感じ。
 虐待?まあ、服から見えてる部分には痕がないけど、どうだろうね」 
気分の悪くなる話だ。だが、この異常なオカルト好きが、こんなに執着するからには只事ではないのだろう。 
「イマジナリーコンパニオンって、知ってるかい」 
聞いたことはあった。 
「まあ、簡単にいうと、幼児期の特徴的な幻覚だね。頭の中で想像上の友だちをつくりあげてしまう現象だ。
 ただ子どもには幻を幻と認識する力がなくて、普通の友だちに接するようにそれに接してしまい、
 周囲の大人を困惑させることがある。
 人間関係を構築するための、ある程度の社会性を身につけると、自然に消えていくものだけどね」 

それならば俺にも経験がある。 
と言っても覚えているわけではないが、両親いわく「お前は仮面ライダーと喋ってた」のだそうだ。 
まだしもかわいい方だ。
『ゆうちゃん』とかありそうな名前をつけて、
誰もいないのに「ゆうちゃんもう帰るって」なんて言われた日には、親は気味が悪いだろう。 

もう一度身を乗り出して、幼稚園の庭を覗いてみる。 
帽子の色で年齢をわけているようだ。 
青いタイヤのあたりには赤い帽子が見える。赤の帽子は年長組らしい。 
目を凝らすと、おさげらしき髪型だけが確認できた。 
師匠の言う奇妙な物体は見えない。 
しかし、この異常に霊感の強い男に見えるということは、ただの想像上のともだちではないということなのか。 
「いや、霊魂なんかじゃないと思う。
 気味の悪い現われ方をしてるけど、あの子なりのイマジナリーコンパニオンなんだろう。
 僕にも見えてしまったのは、何故なのかよくわからない。
 ひょっとしたら彼女の感覚器がとらえているものを、 
 混線したように、リアルタイムで僕のアンテナが拾ってしまっているのか……
 あの子は強烈な霊媒体質に育つかもね」
そう言って師匠は、慈しむような目で幼稚園児を見つめるのだった。
攣りそうなくらい首を伸ばしても、その女の子の輪郭以外には何も周囲に見あたらない。 
追いかけっこをしている一団がタイヤの前を駆け抜けて、その子の描いている絵のあたりを踏んづけていった。 

ここからでは表情は分からないが、淡々と絵を直しているようだった。 
「で、その空想のともだちってどんなのです?今もあの子の近くにいるんですか」 
師匠は「う~ん」と唸ってから、「なんといったらいいのか」と切り出した。 
「2頭身くらいのバケモノだね。顔は大人の女。母親じゃない。実在の人物なのかもわからない。
 けどたぶん、あの子になんらかの執着心を持っている。
 体は紙粘土みたいなのっぺりした灰色。小さな手足はあるけど、あんまり動きがない。ニコニコ笑ってる。
 あの子の絵の上でゆらゆら揺れている。今、僕らの方を見ている」 
一瞬にして鳥肌が立った。誰かの視線をたしかに感じたからだ。 
「普通、他の子どもが大勢いる場所では、イマジナリーコンパニオンは現れない。
 本人にとって孤独さを感じる場面で出現するケースが多い。
 だけどあの子の場合は、幼稚園という空間さえ、極めて個人的なものになってしまっているらしい。
 今はあの物体に完全に捕らわれているように見える。
 一度、迎えに来た母親の後をつけようとしたけど、少し離れたところに高そうな車をとめてあって無理だった」
と師匠は言った。 
その時、白い壁の向こう側で、エプロン姿の若い先生と、園長先生らしき年配の女性がこちらを指差して、
何事か話しているのが目に入った。 
焦った俺は、とりあえず自転車に飛び乗って逃げた。 
あとから師匠が、手を振りながら走ってついて来ているのに気づいていたが、無視した。 

部屋の外にいても、テレビがついているのがわかる。 
音なのかなんなのかよくわからないが、とにかくわかる。
周囲の人に聞いても、「あ、わかるわかる」と同意してくれるので、たぶん俺だけではないはずだ。 
だからそのときも、ただわかったからわかったとしか言いようがないのだった。 

幼稚園から逃げ出したその日の夜である。
そのころ完全に電気を消して寝るくせがついていたので、ふいに目を覚ましたときも暗闇の中だった。 
自分の部屋の見慣れた天井がうっすらと見える。
ベッドの上、仰向けのまま半ば夢心地でぼーっとしていると、テレビがついているのに気がついたのである。 
部屋の中のテレビではない。薄いドアを隔てた向こうの台所で、どうやらテレビがついているようだ。 
そちらに目を向けるが、ドアについている小さな小窓の輪郭がかすかにわかる程度で、
その小窓の向こうには光さえ見えない。 
音でもない、光でもない。 
けれど、テレビがついているのがわかるのである。 
もちろん台所にテレビなどない。
俺は半覚醒状態のまま、ただただ不思議な気持ちでベッドからのそりと起き上がり、ふらふらと手探りでドアに向かった。 
電気をつけるという発想はなかった。つけたら眩しいだろうなと、寝ぼけた頭で考えたのだと思う。 
ゆっくりとドアのノブに手をかけ、向こう側へ押し開ける。 
薄暗闇のなか、空中に女の顔が浮かんでいるのが見えた。 
いや、顔だけではなかった。冗談のような小さな胴体と手足が、粘土細工のようにくっついている。 

それがふわふわと台所のある空間に漂っているのだった。 
そのとき、怖いと思ったのかは覚えていない。
ただ気がつくと俺は自分のベッドに戻っており、仰向けのいつもの姿勢で朝の目覚めを迎えたのだった。 
夜の出来事を反芻して、鳥肌が立つような気持ち悪さに襲われ、“連れて来てしまった”んじゃないかと身震いした。

朝から師匠の部屋に転がり込んでそのことを話すと、「そんなはずない」と言って笑うのだ。 
「幽霊じゃないんだから。
 あの女の子の見ている幻を、その子がいない場所で、どうして別の誰かが体験できるっていうんだ。
 夢でも見たんだろう」
師匠はそんな言葉を並べ立て、俺もだんだんとそんな気になりかけていた。 
思いつきで、その女の顔がある芸能人に似ていたことを口にするまでは。 
それを聞いたとたんに師匠の顔つきが変わり、その名前をもう一度俺に確認した。 
どうやら師匠の見ていた顔と同じ印象を俺が持ったことに、納得がいかないらしい。 
「そうか、わかった」
師匠はニヤリと笑うと説明した。 
あの幼稚園の女の子も、その芸能人の面影にわずかに似ているらしい。
ということはつまり、自分自身のイマジナリーコンパニオンに似ているということだ。 
女の子は想像上のともだちとして、自己を投影した理想的大人を仕立て上げ、
自分を愛さない母親の代わりに、いつもそばにいてくれる存在としたのだ。 
母親のようにはならないという反発心から、母親とは違う大人に成長した自分をイメージして。
そして、“ともだち”として相応しい等身にして……
そんな仮説をスラスラと口にする師匠に俺は言った。 

「俺、その子の顔なんて見てないですよ。あんな距離じゃ、全然。目が悪いの知ってるでしょ」 
俺が女の子の顔からその芸能人を連想した、ということを言いたかったらしい師匠は沈黙した。 
それからしばらくして、ゆっくりと顔を上げ、真剣な目をして言うのだ。 
「あれがイマジナリーコンパニオンなんかじゃなく、霊的なものだとするなら、 
 おまえの部屋に出たってことが、どういうことかわかってるのか」 
その言葉を聞いた瞬間、悪寒が全身を駆け抜けた。 
あからさまに怯え始めた俺を見て、師匠は膝を叩いて言う。 
「よし、なんだかわかんないものは、とりあえずブッ殺そう」 
やたら頼もしい言葉に頷きそうになるが、穏便にお願いしますというジェスチャーで返す。 
「冗談だ」 
笑っているが、どこまで本当かわからない。
「まあ放っとこう。どうせとり憑かれてるのは、あの子だ。
 なんならここに2,3日泊まってけばいい。たいていのヤツなら逃げてくよ」
そんなハッタリめいたことを言う。まるでこの安アパートが霊場のような言い草だ。 
けれど少し気が楽になった。 

結局その2頭身の女のバケモノは、2度と俺の前に現れなかった。 
師匠も、その正体を結論付ける前に警察を呼ばれてしまい、2度とその幼稚園には近づけなかったらしい。 
「警察は霊なんかよりずっと怖い」と、後に彼は語っている。

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