迎えに来たマネージャー

この話をすると、わたし何だか胸が熱くなってくるんですよ。
というのもこの話は我々芸能人の先輩にあたる方の話で、もういいお歳の方です。

ご年配の方はお分かりかもしれませんが、かつて日本に喜劇王と言われた榎本健一さんが全盛期の頃に若手で活躍された方の話です。
ただ、あまり知られていない方なんですよ。
テレビに出てきませんし、地方の舞台から舞台を回ってる方で、芸能人の方でもこの方の名前を知っている方は少ないんじゃないかなと思います。
ようするにメジャーじゃないんですよね。
でも一生懸命仕事をしていました。
今回のお話はこの方のお話です。

この方はいつも仕事で飛ぶわけです。
その日も羽田発の朝一番6:30の飛行機で福岡へ飛ぶはずだったんです。

目覚ましが朝3:00に鳴ったんです。
眠いながらも目を覚まして目覚しのボタンを押す。
あー、眠いけど出かけるかなぁと思い電気をつけようとすると、

トゥルルルル、トゥルルルル

電話が鳴った。

「はい」と電話に出ると、
「おはようございます、4時きっかりにお迎えに上がります」という電話だった。
マネージャーからの電話。
さぁ支度しようと思い、電気をつけ、風呂場へ行き熱いシャワーを浴びる。
体もすっきりし、頭もスカッとし、目もパチっと開いてきた。
体を拭いて着替え準備をする。
そのうちに、何だか妙な気になった。

あれ、おかしいな?
今の電話はいつものように当たり前のマネージャーからの電話なんです。
いつもだったらこれでいいんですが、今は少しワケが違うんですよね。
というのも彼についている杉山というマネージャー、十年間ずっと自分に付き添ってくれて苦楽を共にしていたんですが、
そのマネージャーが実は体を悪くして実家に帰っているんですよ。
そして実家近くの病院で入院しているはずなんだ。

だからおかしいよな・・・でも今の声は杉山の声だったよな・・・。
何でアイツが電話をくれたんだろう。気のせいかな・・・?

何せ十年も一緒にいて付き合いをしていますからね、他の人がそう電話をくれてもそう聴こえてしまうのかもしれない。
ここ一週間ばかしは若手の上田というマネージャーがついているんです。
どう考えてもおかしい。
今のは絶対杉山の声だったと思いながら片付けていると、

トゥルルルル、トゥルルルル

また電話が鳴った。
「おはようございます。えーっと、4時頃にお伺いしますね」
若手の上田マネージャーからの電話だった。

「あ、上田くん?あんた今しがたわたしのところに電話くれたかい?」
「え、してませんけど」
「ほんとに?」
「いや、かけてないですけど何かありましたか?」
「それなら別にいいんだけども・・・」

おかしいと思っていると上田マネージャーが
「あの、お仕事前に何なんですけども・・・お知らせしたほうがいいと思うんで・・・。
 実はですね、先ほど社長のところに電話が入りまして、杉山さんが午前3時に病院で亡くなりました」
「え、おいそれほんとか?」
「はい・・・」

ぞっとした。
あの3時にかかってきた電話、あれはやはり杉山だったんだ。
4時きっかりにお迎えに上がりますって・・・。

「なぁ上田、すぐ来てくれよ、すぐだぞ。頼むから急いできてくれ。頼むから」
と上田マネージャーに頼んで電話を切った。

なんだか落ち着かない。
長年ずっと付き合ってくれたマネージャー、亡くなったその時間に鳴った電話。
支度をしようとするんだけども落ち着かない。
着替えたりネクタイをしたりしてバタバタしているうちにドンドンと時間は過ぎていく。
と、玄関のほうでドアを開けるような音がした。

ギィ ドン

玄関のドアが開き、閉まったような音がする。
誰かが玄関で靴を脱いでいるような気配がする。

時計を見ると午前4時。

来た・・・あいつ来た・・・。

怖くなっちゃった。
どうしようと思っても飛び出すことも出来ない。
飛び出すと廊下一本で玄関があるんで、何も出来ないまま固まってしまった。

どうしようどうしようどうしよう・・・。

体がゾクゾクと寒くなっていく。
冷や汗をかいてくる。
4時きっかりに自分を迎えに来た。
杉山が迎えに来た。

廊下をだんだんこちらへ近づいてくる気配がする。
段々近づいてくる。
どうしていいかわからないからドアの方に背を向けて、目を合わせないように、じっとドアと反対側を見て固まっていた。
体は動かない、冷や汗ばかりが体を伝ってくる。

段々と気配が近づいてくる。
段々と自分の部屋の方へ気配が近づき・・・止まった。
ドアの向こうに居る。

ドアノブの回った気配がした。

ゆっくりとドアが開いていく。

自分のすぐ後ろに誰かが居る。

恐怖で何が何だか分からない。
どうにかしないといけないと思うんだけども、気持ちが焦るばかりでどうすることも出来ない。

それでも何とか出せない声を思いっきり出して、
「悪いな、今日はいいんだ。帰ってくれないか?」
と言った。

「はい、じゃあ失礼します・・・」
そんな風に聴こえた気がした。

気配が段々と遠のいていく。
そしてやがて消えた。

怖い。
体がガタガタと震えている。

・・・どうやら行ったようだ。

アイツがやっぱり来たんだ。
と思っているうちに気持ちが落ち着いてきた。
気持ちが落ち着いてくると同時に、なんだか違う気持ちになってきた。
何だかとても辛い気持ち。

十年間ずっと文句も言わずに自分に付き添ってくれた。
決してメジャーじゃない脇の役者の自分にずっと付き添って苦労してくれてあれこれ盛り上げてくれた。
自分のことをずっと気にしてくれた。
おまけに自分が入院しているにも関わらずスケジュールを気にしてくれた。
それで死ぬ瞬間の最後の最後に電話をくれた。
そしてちゃんと時間通りに会いに来てくれた。

そうなんだ、きっとアイツは俺に挨拶に来てくれたんだ。
俺はなんてことをしちゃったんだろう・・・。
俺はなんてひどいことをしたんだろう。
アイツはこれほど俺のことを想ってくれてるのに、アイツを追い返してしまった。
俺は最低の男だ・・・と自分を責めた。

とっても辛くなってきたって言うんですよね。
その時彼は心の中で、「杉山ゴメンな、ありがとう。本当にありがとう」って言ったって言うんですよ。
その瞬間すごく胸が熱くなったって言うんですよね。

しばらくすると、ドンッとドアの開く音がした。
玄関で靴を脱ぐ音がする。
足音がして、「おはようございます!」と上田マネージャーが来た。

「おはようございまーす。あの、玄関鍵かけてないんですか?開いてましたよ?」と彼が言ったので
「いや、いいんだ・・・。今アイツが帰ったところなんだ」と返したと言うんですよね。

わたしいつも思うんですよ。
怖いと思うのはこちらの勝手で、そういう風な優しい霊もいる。
そんな気持ちです。

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