ホテルの4Fのトイレ

関西にあったというこのホテルは一階がフロントとロビー。
それと喫茶レストランがあって、後は結婚披露宴の受付の窓口がある。
二階には着付け室、美容室、そして写真スタジオがあって、チャペルの方は別棟にある。
三階に宴会場が二つ。
五階から上は客室になっています。
ところがどういうわけか、いつからか四階だけが全く使われていないんです。
これ、四階にも宴会場が一つあるんです。
四階の宴会場の音が客室にまで聴こえてうるさいということや、最近は大きな宴会も減ったからというのが
ホテル側の言い分なんですが、本当のところは分からない。

五月の末に友だちの披露宴があったのでこのホテルにやってきた、仮にA子さんとしておきましょうかね。
五月というのは丁度シーズンなんですね。
ホテルの二つの会場はフル回転。
披露宴が終わると、さぁもう一つ披露宴。
もう一つの会場も披露宴が終わると、さぁ次の披露宴。
人がごった返している。

A子さんは披露宴に入る前に少しトイレに行こうと思い、婦人用のトイレに行ってみるともう順番を待つ人の列がずらっと並んでいるわけだ。

(うわぁ混んでる。嫌だなぁ)

辺りを見ると、四階に続く階段がある。
ちょっと行ってみようと思って階段を上っていった。
四階に着くと、薄暗い。
ずっとフロアは広がっているのに、誰もいなくて妙な感じがする。
三階の雰囲気とは大違い。
人が全く居ない。
辺りを見回すと、向こうにトイレの案内表示板が出ている。

(あ、あっちにトイレがあるんだ)

そう思って行ってみると、突き当りにトイレがあって、一方が紳士用、一方が婦人用となっている。
A子さんは中に入っていって、婦人用のスイッチを付けた。
サーッとトイレに明かりがついた。
掃除はきちんとされてるようなんですが、そのトイレが長らく使われていないということはひと目で分かった。
何だかちょっと気味が悪いなぁと思ったんですが、長居するわけじゃないですからね。

入っていって全く無意識に、奥からニ番目の個室の扉を押して入った。
中に入ると鍵を閉めて棚にバッグを置いて座った。
と、カッコ、カッコ、カッコと足音がして誰かがトイレに入ってきた。

(あぁ私と同じように人がいっぱいだから上に来たんだな)

コンコンと扉をノックする音がした。

ギーーー ドン

そうするとまた、カッコ、カッコと足音がする。

(あれ、今の人トイレに入らなかったの?)

と、またコンコンとノックをしている。
そうするとまたギーーと開く音がして、ドンと閉まる音がした。
足音がして今度は自分が入っている個室の隣の個室の前で足音が止まった。

(この人なんなのかしら、どうしたんだろう)

そう思っていると、また扉が開いた。
気になったものですから、耳をそばだてて様子を伺っていた。
と、隣から「・・・ない」と声がした。

(なんだろう)

また扉が閉まる音がした。

(嫌だなぁ、気持ちが悪いなぁ)

また靴音がして、それは自分が居る個室の前で音が止まった。
A子さんは丁度扉に向かって座っていますから扉を挟んで相手方と向かい合うような形ですよね。

と、コンコンと扉をノックされた。
扉にはきちんと使用中のマークが出ているわけで、なんて非常識な人なんだろうと思った。
ちょっと腹が立ったものですから、コンコンとノックを仕返した。
しばらくの間があって、

「すみません、私の指輪ありませんか」

と、ドア越しに低い女の声がした。

(何なのこの女、人が用を足しているのにどういうこと?)

何だか気味が悪い。
気持ち悪いけど腹立たしいので

「ありませんよ!」

と答えた。
と、またしばしの間があって

「本当にありませんか?」

と声がした。
それは扉の前からではなく、扉の下の方から聴こえたので、A子さんは下の方を見てゾクッとした。
扉の下の僅かな隙間、その僅かな隙間から女の白い手が個室の中に伸びてきている。
床は白い綺麗な大理石ですからね。
そこに女の顎と赤い唇が写り込んでいる。
どうやら女は中を覗きこんでいるらしい。

(この人は普通じゃないんだ、どうしよう)

突然扉がガタガタと鳴り始めた。
どうやらこの女はどうにかして強引に中に入ろうとしているらしい。

(嫌だ、この人精神異常者なんだわ!)

もう怖くてしょうがない。
相変わらずドアはガタガタと鳴り響いている。
でもどうしていいか分からないから、ひたすら黙って縮こまっている。
そして耐え切れなくなり「やめて!!」と声をはりあげた。

と、その音がピタッと止んだ。
そしてプツッとトイレの明かりが消えてしまった。
トイレの中は真っ暗ですよ。
嫌がらせにトイレの明かりを消したんだなと思った。
すぐにも飛び出して逃げ出したいんですが、どうやら相手は扉の前に居るらしい。
女が動いていなくなる気配は無い。
闇の中で微かになんですが、女の息遣いが聴こえている。
仕方なく相手が出て行くのを待とうと思って、A子さんは黙ってじっと目をつぶっていた。

と、何か擦れるような音が聴こえている。
A子さんは黙っている。

ズ・・・ズズズ・・・ズズズズズ

布の擦れるような音が聴こえる。
その音は段々と大きくなってきている。

と、サワっと何かが自分の顔に当たった。
顔に髪の毛が当たっている。
自分の髪の毛じゃない。
A子さんはその日髪の毛をアップにしていた。
ということは相手はどうやらトイレの中に入ってきたらしい。
その瞬間に(違う、この人は人間じゃないんだ)と思った。

全身から冷えた汗が噴き出してくる。
もう体はブルブルと震えている。
生きた心地がしないわけだ。
自分の前に女は居るらしい。
どうすることも出来ないで、ただジーっと目を瞑って固まっていると不意に「無い」という声が個室の中に響いたものですから、A子さんは目を開けてしまった。
途端に悲鳴を上げた。

真っ暗な闇の中、自分の目の前に逆さにぶら下がった女の顔があったわけですよ。

話では招待されない披露宴にやってきて追い返された女がこのトイレの個室に入って手首を切って自殺をしたそうです。
その女の薬指には婚約指輪が嵌められていたそうですよ。

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