さとこ

この話は皆さんに考えていただきたいんです。
要するに判断していただきたいんです。
というのは怪談というのはね、ある状況があって、流れがあって、こうなってこうなったからこういう結果になった、ということなんですよね。
一応ストーリーがあるわけですよ。
作家がいれば小説のようにこの人はこの時こう思ってこういうことが起こってこういう流れで・・・というように話が進んでいくわけですよね。
でもこの話は出来事の羅列だけなんですよ。
でも実際には真実というのはそういうものなんじゃないかなと私は思うんです。
実際に見たこと聞いたこと、それしか無いわけですよね。

これはもしかすると怪談ではないのかもしれない。
逆に言うと、だからこそ怪談なのかもしれない。

この話をしてくださった方というのはお名前は出せないのでMさんとしておきましょう。
そしてこのMさんに相談をした人、この人を仮に足立さんとしておきましょうかね。
まぁこの足立さんというのはこのお話の主人公でもあるんです。
この足立さんというのは実業団野球のピッチャーなんですよ。
これはそんなある日の朝、足立さんの出掛けの時に起こった。

トゥルルルルル トゥルルルルル

足立さんの家の電話が鳴った。
奥さんが居間に行って

「はいもしもし、足立ですけども。
 ・・・は?
 もしもし、こちら足立ですけども」

電話は切れてしまった。
そして奥さんが足立さんのところへ戻ってきた。

「何なのよ今の電話。
 こちらが何処の家かも確かめないで要件を言うだけ言ったら切れちゃったの。
 おかしな電話だったわ」

「誰からだい?」

「うーん、誰だかはわからないんだけど、陰気な女の声で
 『さとこが亡くなったとお伝え下さい』
 って、それだけ言うと切っちゃったの。
 ねぇあなた、さとこって誰?
 知ってる人?」

「さとこ?
 そんな名前知らないな」

足立さんにはいたずら電話とも思えない。
でも結局はかけてきた先はわからないですから、いたずら電話ということで片付けられた。
それでこの日も足立さんは出かけて行って、グラウンドでの練習が終わった。
同僚のAさんを自分の助手席に乗せて、そのグラウンドの駐車場から出てきた。
そうしましたらこの隣に居るAさんが

「おい、あの女また来てるよ」

見ると駐車場の入口のところにポツンと女が一人立っていてこちらを見ている。
この女はいつもグラウンドに来ている女。

「しばらく様子見なかったけどな。
 また来てるのか。
 誰か目星の選手でもいるんだろうな」

車はそのまま駐車場の出口までやってきた。
と、この時に運転している足立さんの視線と女の視線が合った。
そうすると女がニタッと笑った。

この駐車場というのは出口を出ると、真っすぐ行って左にしか曲がれない。
この一方通行の通りはグラウンドを囲むように走っていて、そこから大通りへ出るわけだ。
信号が変わって車が止まった。
瞬間二人は「うわぁ」と思った。

女がそこに立っている。

「おい、おかしくないか。
 こっちは車だろ、あの女は何であんなところに立っているんだ?
 どうやって来たんだ?
 グラウンドを思いっきり走って突っ切ってきたって来れるもんじゃないぞ」

信号が変わって車が走りだした。
次の角を曲がればもう太い通り。
車がフッとスピードを落とした。
と、突然このAさんが「おい、アレを見ろよ」と言った。

見ると女が向こうに立っていてこちらをじっと見ている。
流石に気味が悪かったんで、急いで車を発進させて逃げてしまった。

さて、その翌日は足立さんは会社も休みで、この週は野球の練習も無かった。
それで奥さんがしばらくぶりに友達と会うから、「今日は帰りは遅くなるわ」と言って食事の支度をして外出してしまった。
一人になった足立さんは居間のソファーに横になって好きな単行本を読んでいた。
そしてそのうちウツラウツラとして寝てしまった。

どのくらいか経って、フッと物音で目が開いた。
台所で音がしている。

(あれ、何だあいつ。
 今日は遅くなるって言っていたのに。
 もう帰ってきたのか?)

少し起き上がって台所に首を向けた。
少し開いている居間の向こう、奥さんがこちらに背中を向けて何か支度をしている。

「なんだおい、もう帰ったのか」

「起きたの?」

「おいお前今日は遅くなるんじゃなかったのか」

「フフフ、フフフフフフ」

と、奥さんは妙な笑い方をした。
何だか様子がおかしい。
それにしても帰ってくるのが早過ぎる。
よく見るとチラッと覗いている奥さんの髪型がいつもと違う。
服装も違う。

(あれ、なんだ。
 服も違うじゃないか)

奥さんがゆっくりとこちらに振り返った。
違う、それは奥さんじゃない。

(何だこいつ、何で知らない女がうちの台所にいるんだ)

ニコリと笑って女がこちらにやってくる。
やってきて今のドアをギーッと開けて入ってきた。
誰なんだと言おうとしたんですが、声が出ない。

女の手元で何かがキラっと光った。
見ると手に血のついた包丁を握っている。
慌てて起き上がろうとするんですが、体がピクリとも動かない。
そこへその女がゆっくりとやってきた。
そしてソファーに横になっている足立さんをグッと覗きこんできた。
女の顔が自分の顔へ近づいてくる。

(あれ、この女何処かで会っている)

なおも女の顔がグッと近づいてきてニタッと笑った。

(あ、この女はグラウンドに来ていたあの女だ)

思った瞬間、女が包丁を自分に向かって振り上げた。
途端に足立さんは悲鳴を上げた。

そして目が開いた。
気が付くと奥さんが自分の顔を覗きこんでいる。
と、奥さんが

「どうしたの?
 怖い夢でも見たの?」

「あぁ、怖い夢を見たんだ・・・。
 台所に知らない女が居てな」

話しながら奥さんの顔をヒョイと見た。
と、奥さんが後ろ手に包丁を隠し持っているのが見えた。

(おかしい、どうしてこんな早くに女房が帰ってきているんだ?
 なんだ、これはおかしいぞ)

奥さんがグッと顔を近づけてきてニタッと笑った。

(違う、これは女房じゃない)

思った瞬間、足立さんは

「おい、お前は誰なんだ。
 女房じゃねぇだろ。
 こっちは分かっているんだぞ」

そう言うと奥さんの顔がぐにゃっと歪んで女の顔に変わった。
そして包丁を振り上げると、振り下ろした。
瞬間足立さんの視界は真っ暗になった。

それからどれくらいか時間が経った。
ドアが開く音がして足立さんは目を覚ました。
辺りは真っ暗で明かりをつけた。
そこはいつも見慣れている居間。

「ただいまー」

奥さんの声が玄関から聞こえたんで、「おかえり」と言いかけてやめた。

(待てよ、もしかしたら・・・。
 もしかしたらあの女かもしれない)

足音が近づいてきて今のドアを開けて奥さんがひょいと顔を出して

「何だ、居たんじゃない。
 玄関の明かりも付いていないし」

足立さんは曖昧な返事をした。
実際に今しがた起こったことが夢なのか本当なのか頭の中が混乱して何が何なのか分からない。
と、台所の方から奥さんの声がした。

「ねぇ、ちょっと何なの。
 こんなに散らかして。
 自分でご飯でも作ったわけ?
 せっかく食事の用意をしていったのに。
 もうしょうがないわねぇ」

(じゃあやっぱりあれは夢じゃなかった。
 あの女は本当に来ていたんだ)

そう思った瞬間、ゾッとした。

その翌日、足立さんは会社に行った。
と、野球部の部長が来て

「いやぁ、今しがた川本聡子さんのご両親という方が見えてね。
 この川本聡子さんという方は君も知っているだろう。
 よくうちのグラウンドに来ていたあの女の子のお父さんとお母さんなんだけどもね。
 この川本聡子さんが体を悪くして入院した先の病院で亡くなったそうだ。
 それでお父さんとお母さんがご丁寧に挨拶してきてね。
 『娘が大変お世話になりました』と話をして帰ったところなんだよ」

(川本聡子?
 さとこ・・・そうか。
 あのグラウンドの女は川本聡子と言うんだ)

そして話を聴いていくと、この川本聡子という女は足立さんのファンだということが分かった。

(なるほど、そういうことだったのか。
 ということはグラウンドで見かけたあの女、そして自分のうちにきたあの川本聡子。
 どちらも自分が見た時はこの世のものでは無かったんだ)

ただ恐ろしいことというのは、あの日以来全く起こっていない。
ただ何だか妙なことがある。
というのは最近何だか奥さんの様子が変わってきた。
時々妙な笑い方をする。
そして髪型が変わった。
服装のセンスも変わった。
何だかいつもと様子が違う。

そんなある日なんですが、居間でゴロンと横になっている足立さんのところへ奥さんがやってきて

「ねぇ、この家にさ、誰だかもう一人居る、そんな気がしない?」

そう言いながら寝ている足立さんに顔をグッと近づけてきた。
以前はそんなことはしなかった。
なおも奥さんは顔を近づけてきたニタッと笑った。

奥さんの顔がなおも自分に迫ってくるので、足立さんが奥さんの顔をチラッと見た瞬間、
屈んできた奥さんの背中にあの女が、川本聡子がくっついていて自分をじっと見て笑った。

(川本聡子はずっとこの家に居たんだ。
 ただ奥さんに張り付いていたから、それが見えなかったんだ。
 そう言えばたまに鏡に向かって化粧をしている奥さんが他人に見えることがある。
 段々と女房が川本聡子になっていく・・・)

と、この足立さんがMさんに言ったそうです。
話を終えたMさんが私に

「あのね、この足立さんだけども。
 とうとう神経をやられて、今病院に入っているんですよ。
 それで時々見舞いに来る奥さんを“さとこ”って呼ぶんだそうですよ」

と教えてくれましたよ。
全てはあの一本の電話から始まったんですね。

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