真下の住人

荷物が増えて部屋が狭くなってきたんでもう少し広くて、
かと言って家賃がそんなに高くないところに越したいなと思った。
それも出来れば今住んでいるJR駅の近くだったら何かと都合がいいなと思った。

と、そうこうしているうちに良い部屋が見つかった。
それというのは今自分が住んでいるJR駅の賑やかな南口ではなくて反対側のあんまり開けていない北口に
今よりも部屋が広くて家賃が安い物件を見つけたわけだ。
距離もさほど駅から離れていない。
距離も今とあまり変わらないんで、これはいいやと思って早速契約して引っ越した。

引っ越してみてもあまり生活は変わらない。
同じ駅ですし、距離もそんなに変わらないですからね。
そして引っ越して荷物も片付いた。
そうして日が過ぎていった。
ひと月もした頃なんですが夜眠っていると夜中に突然

トゥルルルルルル トゥルルルルルル

電話が鳴った。
そして飛び起きた。
この電話というのは普段あまり使っていないし、殆ど誰にも教えていないんですよね。
大概の事は携帯で済みますから。

それに夜中の電話というのは、あまり良いものではなく、緊急の場合が多い。
何だか不吉な気がするわけだ。
何事かと思って飛び起きて電話に出ると、掠れた低い女の声で

「下の浅野ですけども・・・やす子お邪魔していませんか?」
と言った。

(なんだよおい・・・冗談じゃねぇよ。
 間違い電話かよ)

驚いて何事かと思ったら、間違い電話。
こんな夜中に非常識だなぁと思ってムッとしたもんですから

「あのぅ、うちは加藤というもんですけども、どちらにお掛けですか?」

「すみません・・・」

カチャッと電話は切れた。

(全くいい迷惑だなぁ)

「下の浅野ですけども」と言われた時に、一瞬苦情でも言われるのかと思ってドキッとした。
そうしてそれから二日ほどして一階にある郵便ポストから、自分のところに来ているチラシだとかパンフレットだとかを出していた。
それを出しながらふと自分の真下にはなんて言う人が住んでいるんだろうと思った。
深い意味は無いんですけども、ポストにある表札を見てみたわけだ。
と、402号室には名札が入っていない。

(あれ、俺の真下の部屋は空き室なんだな)

それでしばらくしてから自分の真下の部屋はずっと前から空き室になっていることを知ったわけです。
そうしてまた日が経っていった。

夜疲れて眠っていると突然

トゥルルルルルル トゥルルルルルル

電話が鳴った。
夜中の電話だからびっくりして飛び起きた。
何事かと思って受話器を取ると掠れた低い女の声で

「下の浅野ですけども・・・やす子はお邪魔していますか?」

(この間の女だ。
 また間違い電話だ。
 非常識にも程がある)

「あのすみません、うちは加藤なんですけども。
 おたく、これで間違い電話二度目ですよ、迷惑しています」

「すみません・・・」

そう言って相手は電話を切った。

(勘弁してくれよ・・・)

多分上の階に遊びに行っている娘か何かにいい加減帰ってこいという催促をする電話なんでしょうね。
翌朝1階に降りていくと管理人さんがいたんで、別に愚痴を言うわけではないんですけども

「いやぁ参りましたよ、夜中に間違い電話があって。
 しかも同じ人から二回ですよ。
 どうもマンションの上に遊びに行っている娘か何かに遅いから帰ってこいっていう内容なんですけどね。
 どっかのマンションに私と似たような電話番号の人が居るんでしょうね。
 電話に出ると掠れた低い女の声で

 『下の浅野ですけども・・・やす子お邪魔していませんか?』

 そうやって言うんですよ。
 ったく何だか気味の悪い声でね」

そんな話をしていると、話を聞いていた管理人さんの顔が何だか青ざめてきた。
様子がおかしいなと思っていると、管理人さんが

「あぁいや、実はですね・・・。
 以前にこのマンションに若い母親と幼い娘の親子二人が住んでいたんです。
 で、母親というのは賑やかな駅の南口で夜のお店に勤めていまして、
 その間この幼い娘というのは留守番をするんですが、上の部屋に住んでいるお年寄りのご夫婦がこの子を可愛がっていて
 しょっちゅうお母さんがいないときに上の階に遊びに行っていたんです。
 それでお母さんが仕事から帰ってくると上の部屋から帰ってくるわけでね。
 時々お年寄りの部屋で娘が寝てしまっていたりすると、母親が迎えに行って抱えて帰ってきたりもしましたけどね。

 そんなある日なんですけど、このお年寄り夫婦がたまたま用事があって家を留守にしたんです。
 それで幼い女の子は行くところがないですから自分のところで一人で留守番をしていたわけだ。
 そしてもう夜中頃、母親がそろそろ帰ってくるという時間帯に、待ちきれなくなったんでしょうね、
 バルコニーへ出て道のほうを見ていたんでしょうね。
 それで帰ってくる母親へ手を振ろうと身を乗り出していた。
 そして誤って下へ落ちてしまったんです。

 母親は家に帰ってくると娘の姿が無いんで、すぐに上の部屋へ電話をいれたんですが留守だと気がついたんで慌てて娘を探したんですがね、
 娘は何処にも居ない。
 そして慌ててバルコニーへ行って下を見ると、なんと下に娘が倒れて横たわっている。
 驚いて慌てて下に行ったんですが、もうその時には事切れていましてね。
 かわいそうに、もうこれが大変ショックだったんでしょうね。
 それからすっかり酒浸りになって、そしてそんな時に部屋のガスの元栓を開いて自殺したんです。
 遺書は無かったんですが、これは誰が見たって自殺ですよ。
 この母親は浅野よし子と言いましてね。
 幼い娘さんが、やす子ちゃんと言うんですよ。

 この事件があってから真上のお年寄りの夫婦は孫のように可愛がった女の子が亡くなって辛かったんでしょうね。
 それに自分たちが居なかったことで起きた事件だから後ろめたさもあったんでしょうね。
 部屋を引き払ったんですが、引き払う時に親しかった人にこう言ったそうですよ。

 『夜中になると電話が来るんだ』って。

 そのお年寄り夫婦が住んでいた部屋っていうのは、貴方が今住んでいる部屋なんですけどね」

その話を聞いて驚いた。

(おいよしてくれよ。
 ということは自分のところにかかってきたあの電話というのは生きている女からの電話じゃないのか。
 自分はこの世に生きているものじゃない女と話したのか。
 よしてくれよ、冗談じゃねぇよ)

その瞬間に猛烈に怖くなった。
本当は引っ越したいんですが、自分は引っ越してきたばかりだし、おいそれと簡単に引っ越せるわけでもない。
よわったなと思った。

一日、二日、三日と日が経っていく。
自分はきつく断ったんだからもう電話は来ないだろうと思うんですが、どうも怖い。
そうして日が経っていった。

そんなある晩なんですが、疲れて眠っていると夜中頃

トゥルルルルルル トゥルルルルルル

電話が鳴った。

(電話だ・・・電話が鳴っている・・・ついに来た!
 あの女がかけてきているに違いない。
 いや、あの女の霊がかけている!)

相手はこの世のものじゃないんだ。

トゥルルルルルル トゥルルルルルル

と電話が鳴っている。

(そうか、そういうことなのか。
 女は、真下の住人はまだ下の部屋に居るんだ!
 そして真下の部屋から自分のところにかけてきているんだ。
 どうしよう・・・どうしよう・・・)

電話は鳴り止まない。

トゥルルルルルル トゥルルルルルル

電話はずっと鳴り続け、そしてフッと止んだ。
電話は鳴り止んだ。
ふっと一息ついた。

と、玄関のチャイムが鳴ったんで思わず「はーい」と返事をした。
返事をするとドアの外から掠れた低い女の声で

「下の浅野ですけど・・・やす子、お邪魔していますか?」
という声がした。

どうやら母親は迎えに来たらしい。

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