赤いぽっくり

昔の話になるんですがね、その時にいつも私が一人で飲みに行く飲み屋がありまして、
飲み仲間というか、親しくなった方がいたんです。
その方っていうのは歳はわたしよりもだいぶ上なんですよ。
それでその方が私と親しくなった時に話してくれた話なんですけどね・・・。

終戦後、この方がまだ若い時の話なんですが、
元々学校の先生をやっていらっしゃったんですが、体の調子を悪くしてしまった。
東京だと仕事がしづらいんで、何処か空気の良いところをと思った時に
自分の生まれの四国で教師を募集していないかと思って願い出ましたら、たまたまそういうところがあった。
すでに自分の親・親類は四国には住んでいなかったんですが、やっぱり生まれた土地ですから、四国には想いがあるんですよね。

そんなことで四国に行って、ある大きな屋敷の離れで彼は暮らし始めた。
そんなある朝に窓を開けた。
離れの正面には庭があるんです。
その向こうには垣根があって、そこを何気なくボーッと見ていると、丁度朝の出勤時なんです。
垣根の前を人が何人か歩いている。
その中に髪の長い綺麗な女性が居たんで

(お、こっちにもこんなにも綺麗な人が居るんだなぁ)
と思いながら眺めていた。

彼はそんな彼女を見るのが毎日の楽しみになっていた。
朝窓を開ける。
離れの庭越しに見ていると丁度垣根の向こうを彼女が通って行く。
見ているうちにだんだんと、情と言うんでしょうか、彼女のことが好きになってきたんですね。
その頃には彼もだいぶ体の調子が良くなってきていたんで、いつか話をしてみたいな、チャンスは無いかなと思っていた。

そういう風に見ていると、不思議なもので、彼女の方もいつも見ている自分のことに気づいたらしい。
フッと目が合うと会釈をするようになった。

(あぁ、これはシメたもんだ)

彼は今度から庭に出て待つようになった。
丁度いいタイミングで彼女がやってきたんで「おはよう」と声を掛けた。
彼女の方も「おはよう」と会釈を返してくれた。
そんなことがきっかけとなり、垣根越しに一言二言は話が出来るようになったんで彼は非常に嬉しくなった。
そうやって話をするうちに彼女は近くのお屋敷の良いところのお嬢さんだということが分かった。

そんなある日なんですが、彼は夜遅くまで学校の残った仕事をしていた。
辺りはシーンと静まり返っている。
そんな中を

カンコンカンコン

カランコロンカランコロン

と、下駄の音が自分の離れの方にだんだんと近づいてきた。

(はてな?
 これはどうやら離れの方に向かっているぞ。
 誰か来るのかな?)

仕事をしている自分の離れ、障子が閉まっているんですがその向こうで下駄の音が止まった。
こんな時間に誰だろうと思っていると、障子越しに

「こんばんは」

と若い女の声がしたんで、誰だろうと思い立ち上がって障子を開けてみた。
すると例の美しい彼女が立っているんですよ。

(こんな夜遅い時間にどうしたんだろう)

彼女はニコッと笑ったんで
「まぁまぁ、上がってください」と声をかけた。

そして彼女は部屋へ上がってきた。
彼としても嬉しいですからね、話はだんだんと盛り上がっていって、だんだんと良い雰囲気になって、その夜に二人は結ばれたんですね。
彼としてはこれは嬉しかった。
彼は心の中で自分は頑張って絶対に結婚するんだと、そう思い込んだ。

彼女はその夜遅くに帰るというんで、「送りますよ」と言うと「要らない」と返してきた。
彼女は一人で暗い闇の中を下駄の音を鳴らしながら帰っていった。

翌朝早くに起きて庭で待っていると、彼女が通りかかったんで
「おはよう」と声を掛けると、向こうもニコッと笑い「おはよう」と返す。

昨日のことがあったもんですから
「いやぁ、どうも昨日は」
そう声を掛けると、彼女は「えっ?」という顔をした。

彼は昨日の今日だから、照れがあるのかなと思ったんです。
ところが何度も朝に会うんですがちっともそんな雰囲気じゃないんでおかしいなと思っていた。

(やっぱり夜訪ねてくるくらいなんだから、もう少し自分に何らかの親しさというか、
 もっと身近な感じがあってもいいのに。
 よそよそしいなぁ)

そう思っていたんですが、ある夜、今度は自分から訪ねてみようかと思った。
それで夜遅くにこっそり家を出て、彼女の家に行ってみた。
辺りを伺っていると、うっすらと明かりが付いている部屋があったんで行ってみると下駄が2つ置いてある。
間違いなくそれは彼女の下駄なんで、あぁここが彼女の部屋なんだなと思いスッと襖を開けてみた。

と、確かに部屋の中には彼女が居るんで「こんばんは」と声を掛けるとニコッと彼女が笑った。
どうやら彼女が自分が来るのを分かっていて待っていたようなんですね。
早い話が昔の夜這いというやつなんですね。
それで部屋に入ったわけだ。
あれこれと時間が経って彼は帰っていった。

それで彼は翌朝も窓を開けて待っていた。
彼女が通りかかったんで「おはよう」と言うと彼女も「おはよう」と返す。
でもそれにしても随分空々しいなぁと思いつつ次の日の朝、彼女のところへ行って話しかけると、彼女はやっぱりきょとんとしている。
彼女に今までの話をするんだけども、彼女は全く覚えがないという。
そんな馬鹿なことは無いんだが、どうも話が食い違う。
そうしているうちに、彼女がちょっと待ってくれと言う。

「誠に申し訳ないんですけども、私には全くそういった覚えはないんです。
 でもあなたの話がもしも本当だったならば、それは私じゃありませんけども、
 多分私の姉だと思います」

「えっ、じゃあ私は間違えてあなたのお姉さんと・・・」

「えぇ。私には双子の姉がいるんです。
 でもその姉は子供の頃に無くなっているんです」

話を聞いて、何を馬鹿なことを言うんだろうと思った。

「あなた、もしかして私のことをからかおうとしているんじゃ・・・」

その彼女は真面目な顔をして
「私のお姉さんがあなたのところへ訪ねて行った時に履いていた下駄はご覧になりましたか?
 それはもしかして、赤いぽっくり(木履)ではありませんでしたか?」

そう言われ、フッと思い出した。
そう、自分は下駄だと思い込んでいたんですが彼女の履いていたそれは、今はっきり思い出すと
赤い小さなぽっくりだったんですよ。
彼女から「それは赤い小さなぽっくりではありませんでしたか?」と言われた時にゾッとした。

「うちの姉は何故か知らないけれど、私に親しい人が出来ると、そこに必ず訪ねて行くんです。
 でもその時に何故かいつも、赤いぽっくりを履いていくんですよ。
 姉が亡くなったのはまだ小さな時でしたからね」

そう言ったって言うんですよね・・・。

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