群馬の温泉宿

昔の話なんですが、私深夜の番組にレギュラーで出演していたんですよ。
まぁ深夜の番組なんで、お酒があったりギャンブルがあったり、ちょっと色っぽいことがあったり、
温泉があったり、料理とか、そういうことが中心なんだ。

それでその中で一番人気があったのが、温泉だったんですよ。
人気があったと言っても、スタッフになんですけどね。
というのもあの頃は全てがタイアップなんですよね。
ですから旅館の方が「うちに来てください」って言うんですよ。

なのでそこへ撮影に行って、美味しいものを食べて温泉に浸かって。
そういうことが出来ていたんですね。
だから皆こぞって「行きたいね」って言ってたんですよ。

そんな時の話なんですが、ある時群馬の温泉に行ったんです。
群馬県というのは有名な温泉がたくさんあって、良い温泉がたくさんある。
ここの名前が有名なんですが、地味な温泉地があるんですよね。
そこに行ったんです。

メンバーは私が数字を振ったり、お話を聴いたりするわけです。
それでアシスタントの形で女の子が来るんだ。
それと後モデルさんと、演歌の女性歌手。
これがまた雰囲気が出るんですよ。

川の流れがあって、橋がある。
そこを蛇の目でもさして和服で歌いながらその演歌の女性歌手が来るわけです。
それで私がその女性とすれ違うシーンがあったりするわけだ。

そこの温泉地を私が取材して歩いたりだとか、温泉に浸かっていて、音がするから見てみると向こう側の温泉にモデルさんが浸かっているだとか。
そんなことがあったりするわけですよ。
それで結構盛り上がってた。

で、その日の撮影が終わって、まだ辺りは明るいんですがカメラさんがあたりの景色なんかを撮っている。
私は時間が空いたんで自分の部屋に行ったんですよね。
部屋は五階にあるんですが、実はここは五階って言っても、本当は四階なんですよ。
ていうのは「四」という数を嫌っているもんだから、三階の上が五階なんですよね。
それで私の部屋は一番端にあるんだ。
階段を上ってくると廊下がある。
これは私の部屋しか来れない廊下。
座敷が二つあって、また廊下がある。
一方は壁なんですが、もう一方にはトイレがあるんです。
大きなガラス窓があって、向こうには大きな山々が見える。
これは渓谷ですから、谷が見えているわけだ。

部屋に入ってからは灯りが入っているんでテーブルを出したんです。
そこで別の局なんですが、当時私は朝のテレビ番組でレポーターをしていましたから、事件をまとめていたんです。

辺りはシーンとしているんですよね。
と、階段を上ってくる足音がする。

(あ、誰か来たなぁ)

それで私が机に向かっているその近くに誰かが座る気配がするんですよね。
きっと仲居さんがお茶を替えにきてくれたんでしょうね。
それで私が一生懸命書き物をしているのを、覗きこんでいるんですよ。

だから私は書き物をしながら、
「これは朝のワイド番組のやつなんですけど、自分でまとめないといけないんで大変なんですよ」
と言いながらひょいと見ると、仲居さんはいないんですよ。

(気のせいかな?)

それでなおも原稿を書いていた。
しばらくすると後ろで気配がするんだ。
息遣いが聴こえるんです。

ひょいと見ると、やっぱり誰もいない。

(おかしいな・・・)

でもまた原稿を書いていたんです。
と、私が書いているテーブルの上に、スッと影が射したんです。
誰かが通った時に影になったんでしょうね。
そして後ろの廊下の方でトイレが閉まる音がした。

(あれ、誰だろう?)

そう思ったんですが、この部屋には階段を上ってこないと入れないんですよね。

(誰も居ないはずなのになぁ・・・風かなぁ?)

そう思いながらまた書き始めた。
そのうちにまた黒い影が走った。
それでまたトイレの扉がバタンバタンと言うんですよ。
流石に気になったものだからトイレに行ってみた。

でもトイレはやっぱり「空き」になっているんです。
コンコンと叩いてみるんだけども返事はない。
やっぱり誰もいないんですよね。

(これはどうしたものかなぁ・・・)

そうは言っても気にしてもしょうがないんで、またテーブルに戻って書き物をしていた。
とまた影がスッと動いたんです。
見ると窓のところを人影が通っていったんで

(あーそうか、庭を掃除しているんだな)
と納得したんです。

(ということは、パタンパタンという音はきっとトイレからじゃなくて、外からしていたんだな)
そう思ってまた書き物をしていた。

そうこうしているうちに書き物が一息ついたんで窓のところへ行って外を眺めていたんです。
向こうには山があって、谷がある。
渓谷になっているんだ。
その時にあっと思った。

(庭なんかない・・・。人なんか通れるわけない)

だってここは四階なんですから。
そしてここは崖っぷちに立っているわけです。
一階は崖の方に少し出ているんですよ、展望のために。

(おかしいなぁ・・・)

でも仕事ですからそんなことも言ってられないし、そうこうしているうちに本番が始まった。
この番組は生放送なんですよね。
そしてさっき撮っていたVTRが流れたりするわけだ。

そうしましたらその演歌の女性歌手の方も傍に来ているわけです。
そしてその演歌歌手のレコード会社の人も来ているわけですが、その人と私は知り合いなんだ。
そうしましたら彼が話しかけてきて
「純ちゃんこの温泉いいね。
 ここいいなぁ、ここにしようかな」
なんて言って、私はさっきの話をしたりした。

そうすると、彼は自分の部署で宴会に行ったりするんですが、その時にここを使おうかなって話になったです。
今回撮影もしているからあれこれサービスをしてもらえるんじゃないかという話で

「じゃあ聞いてみようかな」
と、その場でディレクターに頼んだ。

頼まれたディレクターはすぐに旅館に電話をかけてくれた。
宿の方は自分の宿を紹介してもらっているわけですから
「あぁ、お待ちしております」
という話になった。

それから撮影が終わり、後日レコード会社の人たちは集まって行ったわけだ。
しばらくすると、彼から連絡が来たんですよ。

「純ちゃん、純ちゃんの話聞いたんだけどさ、あの出るって話。
 本当に出たんだよ」

「どうしたの?」と聞いたら、彼らが泊まったのも建物の端だったそうです。

そこには小さな宴会場があるんですよね。
そこは二階なんですが、行ってからもう日が落ちていたんで、すぐに宴会場に皆で行ったんです。

壁のほうを背にして、そこにお偉いさん方が座っていて、向い合って若い人たちが座っている。
皆箱膳があって、お酒を飲んだり食事をしたりするわけだ。
そこで一番年長の人が挨拶を始めた。
それを若い人たちが見ている。
と、見ている若者の一人が「うわっ」という顔をした。

途端に皆が驚いた顔をして「あっ」「あぁ・・・」と言う。
私の知り合いの人も(なんだ?)と思って振り向いた。
途端に皆が悲鳴を上げた。

谷に面した真っ暗なガラス窓、そのガラスの向こうから人が覗きこんでいたって言うんです。
そこは人なんか立てないんですよね。

そんな話を聞いたことがありますよ・・・。

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