水路の釣り

茨城県に私の工房がありましてね。
時々デザインの仕事をしに、そこに行くんです。
ある時もデザインの仕事で工房の方へ行って、仕事も一段落。

そしてひょいと外を見たら、もう外は暗いんですよ。

(あー、もうこんな時間なんだなぁ)

ぼーっとしていましたら、突然けたたましいエンジン音がするんです。
私の工房に向かう長い坂道を白い軽トラックが猛スピードで駆け上がってくるんですよ。
なんとなしにそれを見ていましたら、すごい急ブレーキの音がした。

しばらくすると、玄関のドアがすごい勢いで開いて、私の友人の接骨院の先生が転げ込んできたんです。

「なんだいあんた、あんな運転したら危ないじゃないか」
と言いながら友人の顔を見ると、真っ青にしているんです。

唇に色が無いし、体は震えている。
それで私は友人の間では“座長”というニックネームで呼ばれているんですが、
わたしを見ながら友人が言ったんです。

「ざ、座長! 俺、今水路で幽霊見ちゃった!」

この人は釣りが目的でよく私の工房にやってくるんですが、その土地というのは有名な水郷でしてね。
大きな湖が二つあるんです。
そこから田んぼへ伸びる水路が大小いくつもあるんですよ。

そんな中で広い葦の中を抜ける幅が12・3メートルあるような水路があるんですが、
そこで彼は日の傾きかけた中を一人釣りをしていたそうなんです。

風が人の背丈よりも高い葦をサラサラサラっと抜けていく。

(あぁ、だいぶ暗くなってきたなぁ・・・)

周りを見回したが、誰もいない。
それでもそのまま釣りをしていたら、どうやら周りで気配がする。

(・・・?)

辺りを見回すんですが、人影はない。
それでまた釣り糸の先をジーっと見る。
また気配を感じてふっと見ると、日の暮れかかった辺りに丁度影になるようにして
鬱蒼とした葦の対岸に、小学校1年生くらいの小さな男の子がぽつんと立ってこちらを見ていた。

(あれ、あんな子いつここに来たんだろう・・・どこから来たんだろう)

どうも男の子には連れがいないらしい。
たった一人きり。

辺りはどんどんと暗くなっていく。
人が居るような人家はずっと向こうにあるんですよね。

(こんなところであんな小さな子が一人、一体何をやっているんだろう)

妙だなと思いながらも彼はジーっと釣り糸の先を眺めていた。
見るとは無しにまた男の子の方を見ると、男の子は葦の生えている対岸から
なおもこちらをジーっと見ていた。

(何だか気味の悪い子だなぁ・・・)

また釣り糸の先をジーっと見る。

と、そのうちにその男の子がしゃがんで、石ころを拾って自分が居る水路の方に石を投げる格好をした。

「あぁ、駄目だよ石を投げちゃ!」
そう言うと、その子が石をポトンと落とし、後ろを向いて葦の間を無言で帰っていった。

(あんな葦の間を歩いていけるのか・・・?)

そう考えながらも、彼はまた釣り糸の先をジーっと見ていた。

と、自分の後ろで音がした。

ザッザッザッザ・・・

葦の鳴る音がして、誰かの足音がする。
だんだんと歩いてきて、とうとう自分の後ろまで来た。
そして立ち止まり、こちらを見ている気配がする。

(他の釣り人が自分の成果を見ているんだな)

でもこれがいっこうに立ち去ろうとしない。

(嫌だなぁ・・・自分が釣りをしているところをじっと見られたらたまんねぇな。落ち着きやしない・・・)

そう思いながら後ろを振り向いてゾッとした。
それは今さっきまで対岸の葦の原っぱの中に居たあの男の子なんです。
それが立って自分のことを見ているんだ。

(おかしい)

ありえないはずなんだ。
だって男の子は対岸に居たんですから。
この水路には橋なんて無いんだ。

こっち側に来るには、ずーっと水路の縁を歩いて行き、
はるか向こうにある防波堤の上の水門を歩いてきてこっちに来るしかない。
えらい距離がある。
十分やそこらでは来れるはずがない。

(おかしいなこの子・・・普通じゃない・・・
 あぁ、この子もしかして・・・生きている子じゃないんじゃないか・・・)

そう思ったら、とたんに怖くなった。
でも、立ち上がって逃げる事も出来ないんだ。
だから、あっちが立ち去るのを待つしかない。

(あぁ早く行ってくれ・・・頼むから早くいってくれ・・・)

釣り糸の先を見ているんだけども、もう釣りのことなんか頭に無いんだ。

(あぁ行ってくれ・・・早く行ってくれ・・・嫌だなぁ・・・)

辺りに音はない。
男の子は居なくなったような気がするし、まだ気配があるような気もする。

しばらくそんな時間が続いた。

(もう居なくなったかな・・・?)

恐る恐る後ろを振り向いた。
途端に跳ね上がりそうなほど驚いた。

男の子は自分の真後ろに居た。
ハッと思った瞬間、男の子が顔を歪ませて自分を威圧した。

そのまんま友人は走って水路の傍にある軽トラまでやってきた。
もう辺りは真っ暗なんだ。

ハァハァハァハァ・・・

もう心臓は苦しい。
もう走れない。

ハァハァハァハァ・・・

その場に座り込んだ。
後ろを振り返ると、自分が釣りをしていた辺り、暗闇の中に男の子の姿は無かった。

(あぁ良かった・・・)

自分の手の中には釣り竿があったんで釣り竿を引くと、先に何かが付いていた。

(何だろう・・・何かが絡みついているな・・・)

釣り糸をスーッと自分の方へ手繰り寄せた。
手繰り寄せてみるとそれは・・・リボンの付いた小さな花束だった。

彼はハッとした。

(そうか・・・あれは自分が釣りをしていた辺りで死んだ子供だったんだな・・・)

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