JR池袋駅山手線ホーム上立教大生殺人事件
事件の概要
1996年4月11日
小林悟さんは当時立教大学の4年生。
事件のあったこの日も大学主催の就職セミナーに参加。
午後7時~午後9時まで友人2人と居酒屋で食事をし、その後カラオケ店に移動。
午後11時過ぎに帰宅する為、一緒にいた友人と池袋駅へと向かう。
神奈川方面へ向かう友人と先に別れ、所沢方面の友人とは池袋駅の地下切符売り場で別れた。
午後11時30分頃 ─
友人と別れた悟さんは、自宅のある埼玉県春日部市へ帰宅する為、
JR池袋駅・山手線外回り7・8番ホームへと向かった。
そしてホームへ上がる階段の下で、スーツ姿の男に絡まれる。
男がなぜ悟さんに絡んだかは不明だが、1日50万人以上もの乗客が乗り降りするJR池袋駅でのこと、
混みあう構内で体がぶつかるなど何らかのトラブルに巻き込まれたものと推測される。
男に絡まれた悟さんはトラブルを避けホームへ上るも、男は悟さんの後を追いかけ、なおも因縁をつけた。
悟さんはそれを避け再び階段を降りようとするが、追いかけてきた男に捕まり口論となる。
男は悟さんの胸ぐらを掴み、ホーム上を引き回すなどの暴行を加えた上、顔を殴打。
殴られた悟さんは転倒した際に覚障害者誘導用ブロックに後頭部を強打し、意識不明の状態で病院に搬送。
5日後の16日早朝、外傷性脳内出血のため死亡した。
警視庁は2013年2月末までに延べ約1万7400人の捜査員を投入。
約5000件の情報が寄せられたが、犯人検挙には至っていない。
加害者の男
悟さんに暴行を加えた男は、ホームに倒れ痙攣を起こしている悟さんを介抱することもなく、山手線外回りの電車に乗車し逃げた。
逃げる際に、一部始終を目撃していた乗客が駅に残る事を促すも、怒鳴り返しこれを一蹴している。
◯加害者の男の特徴は下記の通りである。
・年齢は24歳~38歳くらい
・身長は170~180cm
・ガッシリとした体つきで、小太り
・右の目尻に穴状の3つの古傷がある
・まぶたが重く、目つきが据わっている
・二重あごである
・両まゆ毛とも目尻にかけ大変薄い
・耳が大きい
・黒っぽいグレーのスーツを着たサラリーマン風
◯男の逃走ルート
男の逃走ルートについては諸説(※)あるが、どれが正確な情報であるかは不明である。
※有力な説については下記に箇条書きで記す。
・当時の防犯ビデオの記録によれば、男は上野駅で常磐線に乗り換え、柏駅で降車したとみられる。
しかし、ビデオは上書きされてしまった為、犯人を映した画像は残っていない。
「大阪ミステリー倶楽部」より引用
・他の乗客がこの凶暴なサラリーマン風の男を見ていた。
しかしそれも「日暮里駅までは乗っていた」というようなもので、日暮里駅に着いた時には男はまだ座っていたというが、
そのまま鶯谷駅、上野駅以降の駅まで乗り続けたのか、目撃者が目をはなした後に日暮里駅で降りたのか、そこがはっきりしない。
「オワリナキアクム」より引用
無関心の目撃者
事件当時、池袋駅構内には約130人以上もの人がいた。
男が悟さんに因縁をつけ、胸ぐらを掴んでいる姿も30人以上の人が目撃していたと思われる。
しかし男と悟さんの仲裁に入るものは一人もおらず、
男に殴られた悟さんを介抱するものもいなかった。
多くの人がホームへやってきた電車にそのまま乗り込んだのである…
救急車が到着するまで悟さんのそばに居たのは、高齢の女性一人だけ。
事件当初、証言者として名乗りでたのもわずか9名であった。
解決を願う父
悟さんの父・邦三郎さんは、手製のチラシを自費で制作。
悟さんの同級生もボランティアとして参加し、山手線、常磐線、東武東上線、西武池袋線など各駅でチラシを配った。
事件から二ヶ月後、似顔絵によく似た男がいるとの目撃証言が入り、邦三郎さんはこの男を尾行。
男は「北千住駅」駅前のパチンコ店に入った後、午後10時頃に店を出て常磐線快速に乗り柏駅まで移動。
同駅の改札を一度出た後に再度定期券で入場し、我孫子方面のホームに下ったところで、電車から降りてきた乗客に阻まれ見失ってしまった。
なお、同駅は犯人の足取りが最後に確認された日暮里駅より常磐線快速で5駅目にある。
事件後の流れ
この事件は当初、傷害致死事件(公訴時効7年)として扱われていた。
2002年7月─ 被害者の父・邦三郎さんが3万5000人分の署名と公訴時効延長を求める嘆願書を法務省に提出。
2003年3月─ 容疑が「殺人罪(公訴時効15年)」へと切り替えられた。
2010年4月─ 時効撤廃刑事訴訟法改正で、殺人容疑の公訴時効は撤廃。(悟さんの事件も時効撤廃となっている)
警察庁の「捜査特別報奨金制度対象事件」となる。
2012年4月16日─ 被害者の父・邦三郎さんが警察庁に捜査終結を求める異例の要望書を提出。
なお捜査終結にあたり都内で記者会見した邦三郎さんは、
「過去にさかのぼり、時効の撤廃が適用されるのは法の原則に反する。これ以上、警察や関係者に負担をかけたくない」
と要請の理由を明らかにしている。
事件担当警察署
警視庁 池袋警察署
「JR池袋駅山手線ホーム上立教大生殺人事件捜査本部」
署代表 03-3986-0110(内線3332)
関連記事
●2012年4月16日付け「スポニチ」─なぜ…立教大生殺害事件 父親 捜査打ち切り求める
JR池袋駅(東京都豊島区)で1996年4月、立教大4年の小林悟さん=当時(21)=が男に殴られて殺害された事件で、
父親の邦三郎さん(66)=埼玉県春日部市=が16日、捜査終結を求める要望書を警察庁に提出した。
事件は発生から15年の2011年4月に公訴時効を迎える予定だったが、10年の改正刑事訴訟法で殺人などの時効が廃止され、捜査は継続。
邦三郎さんは「過去にさかのぼって法律が適用されるのは原則に反する」などとして、捜査打ち切りを求めることを決めた。
提出後、記者会見した邦三郎さんは「(法改正の)直前に時効を迎えた事件もあり、法の平等を犯したくない」と述べた上で、
「苦渋の選択をした。犯人が捕まっても刑事責任を問うつもりはない」と語った。
邦三郎さんによると、警察庁から「捜査は継続します」との回答を受けたという。
事件は96年4月11日午後11時半ごろ発生。池袋駅ホームで小林さんが居合わせた男と口論になり、殴られて転倒、5日後に死亡した。
警視庁によると、男は当時20~30代で身長170~180センチ。スーツ姿で右目尻に傷があったという。
●2015年4月16日付け「埼玉新聞」─池袋駅立大生殺害遺族・春日部の小林さん捜査打ち切り要望の心境語る
殺人罪などの時効が廃止されてから27日で5年。
東京都豊島区のJR池袋駅で立教大4年の小林悟さん=当時(21)=が男に殴られて殺害された事件で、
警察に異例の捜査打ち切りを求めた春日部市の父邦三郎(69)さんが時効廃止への複雑な心境を語った。
事件は19年前の1996年4月11日に発生。小林さんは帰宅途中、JR池袋駅山手線ホームで、
スーツ姿の当時20~30歳の男に殴られて転倒、5日後に死亡した。
警視庁は傷害致死容疑で捜査したが、悟さんを線路上に突き落とそうとした疑いがあるとして2003年、殺人容疑に切り替えた。
殺人罪の時効は当時25年だったが、10年4月に施行された改正刑事訴訟法で、殺人罪などの時効が撤廃された。
その時点で時効を迎えていなかった事件にも適用され、小林さんの事件も対象となった。
時効制度は、年月の経過とともに社会の応酬感情が薄れること、証拠が散逸し真実の発見が困難になることなどを考慮して作られた。
しかし遺族の処罰感情に鑑み、殺人罪などの凶悪事件に限って時効が撤廃された。
「時の壁」であった時効が廃止され、多くの遺族は歓迎した。
そのため、邦三郎さんが表明した「捜査打ち切り」は異例ともいえるケースだった。
「親として心の区切りが欲しかった」。
邦三郎さんは当時の心境を振り返る。
事件発生から16年間、目撃情報を集めるため、邦三郎さんは池袋駅などで手製のチラシを配り続けた。
「何年も可能性を信じて捜査にとらわれ続けることは、遺族にとって苦痛でもある。生きる力が失われてしまう」と胸の内を明かした。
時効廃止から5年。邦三郎さんは「捜査打ち切り」を要望したが、時効がない以上は警察の捜査は継続される。
邦三郎さんは「時効が廃止されても、犯人逮捕への可能性が高まらなければ、遺族にとっては気休めの制度になってしまう。
5年がたつ今、節目ごとに捜査の経過を遺族に報告したり、指紋登録の実施を行うなど、捜査の手法を再度見詰め直すきっかけにしてほしい」と話した。
「犯罪被害者家族の会ポエナ」の会長として活動する邦三郎さん。
06年から継続して「犯罪のない社会」を目指し法務省に提言などを行っている。
これまでに、少年法の適用年齢を引き下げることを要望したり、犯罪被害者が刑事裁判に参加する被害者参加制度の実現などに尽力してきた。
「息子の命の代償は犯罪を防ぐことしかない」。
邦三郎さんは今後も活動を続けていくつもりだ。
◆ソース元
池袋駅構内大学生殺人事件-wikipedia-
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