野村香ちゃん行方不明事件

事件の概要

1991年10月1日は強い雨だった。 午後3時50分、横浜市旭区本宿町/会社役員野村節二さん(52歳)の二女香ちゃん(当時8歳)が、自宅から書道教室に向かう途中に行方不明となる。 警察は「所在不明事件」として特別捜査本部を旭署に設置し、延べ9万756人の捜査員(2011年8末まで)を動員。 現在も、10名体制で専属の特別捜査本部を置き、時折入る情報や地方での事件や事故などに関連性がないかなど、徹底した捜査活動を行なっている。 今日までに寄せられた情報は、「似ている」など香ちゃんに関するものが900件、「不審者がいる」といったものが1200件。 それら一つひとつをつぶしてきた。河川や山、神社など6000か所以上の検索捜査、述べ8万4000人に及ぶ聞き込み捜査も行なってきた。 有力な目撃証言がほとんどないため、車で連れ去られた可能性が高いが、依然として事件解明の糸口はつかめていない。 なお、2006年に公訴時効を迎えている。

事件当日の流れ

・午後2時半頃─ 香ちゃんが学校から帰宅。母親の郁子さんはパートに出ており、家には誰もいなかった。 その後一つ違いの姉・梢さん(9歳)が帰宅。その時香ちゃんは自宅の部屋で机に向かって座り漢字ドリルをしていた。 その後は二人は一緒におやつを食べた。 ・午後3時30分頃─ 姉は電子エレクトーン教室に通うために香ちゃんを自宅に残したまま家を出た。 その時、居間で寝転がってドリルの宿題をする香さんを見ている。これが最後の香ちゃんの目撃情報となる。 ・午後5時頃─ 母親が帰宅。この時に玄関に鍵がかかっており、香ちゃんと姉・梢さんは出かけていた。 香ちゃんは毎週火曜日に、自宅から約540メートル離れた書道教室(午後4時から5時まで)に通っており、その日も書道教室の日だった。 書道用具、傘、長靴がなかったため、香ちゃんは書道教室出かけたものだと思われる。 いつもは香ちゃんは午後5時ごろには帰ってくるのだが、11月に書道の展覧会があるので、その作品制作に打ち込んでいるのだと思い、さほどの心配をしなかった。 その後母親はいったん近くのスーパーに買い物に出かける。 ・午後6時30分頃─ 母・郁子さんがスーパーから戻ったときも家に香ちゃんの姿はなかった。 さすがに気になり書道教室に電話を入れると書道教室に電話を入れると「もう誰もいません」との答えだった。 そこで、香ちゃんと一緒に通っている友だちに電話をすると、「今日は来なかった」と言う。 ほかの友だちと遊んでいるのかもしれないと電話をしてみるも誰も香ちゃんと遊んでいない。 交通事故にでもあったのかと心配になり、書道教室までの道を念入りに捜すも、香ちゃんの姿はなかった。 ・午後8時30分に警察に届けを出す。 学校に連絡を入れる一方、横浜旭署に通報。家族や学校関係者の話からも、家出をする理由は全く見当たらない。

野村香ちゃんの失踪当時の当時の特徴

・昭和58年3月30日生まれ(当時8歳) ・ショートカットヘアーで目がくりっとしている ・白色のヨットパーカー・紺色のジーンズのスカート・ピンクに白の縁どりが入ったゴム長靴 ・薄茶色に青と白のチェック柄の傘と赤色のキティちゃんの絵入りバック

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●2010年3月2日付『毎日新聞』─雨の日 姿消した娘(横浜小3女児不明) ◇帰りを信じ18年余 横浜市旭区の本宿小3年、野村香さん(当時8歳)が、忽然と姿を消してから18年余。 帰りを待つ父節二(せつじ)さん(61)の髪は白くなり、母郁子さん(57)はひざを悪くし座るのもつらい。「あの子が帰ってきた時、歩けない、立てないでは困るから」。 無事を信じる両親は、元気で出迎えるために、健康であり続けたいと思っている。 「あの日」は強い雨だった。91年10月1日午後3時半ごろ、当時同小4年だった姉梢さん(28)は電子オルガンの教室へ通うため、自宅を出た。 その時、居間で宿題をする香さんを見ている。「寝転がってドリルをしていた」郁子さんが5時ごろパートから帰宅した時、玄関は施錠されていた。書道用具が入った赤いキティちゃんの手提げかばん、ピンクの長靴と青と白のチェックの傘はなかった。約540メートル離れた書道教室に歩いて向かったとみられるが、4時からの教室には来ていなかった。 通り道からは、かばんも何も見つからず、争ったような痕跡もなかった。たくさんの新聞、雑誌、テレビの記者が取材に来た。 「あの日」のことを説明した記者の名刺は300枚もある。「少女趣味の男を調べているようです」「子どもの臓器売買があるらしい」--。質問されて知る情報に心乱された。 「何を聞かされるか、怖かった」と郁子さんは言う。 今も残る赤いランドセルを開けると「小学校3年生」のままの香さんのノート、筆箱、漢字ドリルが出てきた。それでも、長い月日の流れで、筆箱の鉛筆や消しゴムは劣化して、互いにくっついていた。「この後の思い出がないんです」。節二さんがつぶやいた「連れ去った犯人が電話をしてくるかもしれない」。神奈川県警の元捜査員、小林重男さん(61)は、香さん失踪直後の10日間、野村さん宅に泊まり込んだ。しかし、何の進展もなかった。 小林さんは、人質事件を扱う捜査1課特殊係に所属し、容疑者との「交渉人」として、発生した誘拐8件すべてを解決した。00年4月の小2男児誘拐事件では、電話口で子供の声を聞かせるよう容疑者に約束させた。「声を聞くだけで両親は希望が持てる。香ちゃんの時は情報も動きも何もなく、本当につらかった」と振り返る。09年春、小林さんは野村さん宅を訪ねた。「見つけられなくてすいません」。定年のあいさつだった。 香さんが進学するはずだった本宿中学校の生徒たちは今も、10月と3月の年2回、香さんの両親と一緒に情報提供を呼び掛けるビラ配りを続ける。 事件が起きたのは、生徒たちが生まれる前のことだ。3年生の梅澤璃奈(りな)さん(15)は「両親の暗い顔を見ると、早く見つかってほしいと願う。半端な気持ちじゃやれない」と話す。3月30日、香さんは27回目の誕生日を迎える。 ●2011年10月1日付『神奈川新聞』 新聞記事 1991年、当時横浜市旭区の市立本宿小学校3年生で8歳だった野村香さんの行方が分からなくなってから、1日で20年がたった。県警は8月末まで延べ9万人以上の捜査員を投入し、捜査を行っているが、有力な手掛かりは見つかっていない。「事故なのか、誘拐なのか、それすら分からない。原因を知りたい」。両親の節二さん(63)と郁子さん(58)は、娘の帰りを待ち続けている。 「今の香を想像できない。元気でいれば28歳。町ですれ違っても気づかないかもしれない」。節二さんが伏し目がちに言う。行方が分からなくなったのは、自宅から書道教室に向かうだった。周囲は20年で様変わりした。新しい住宅が並び、書道教室だった場所はクリーニング店になった。だが、両親の心の中の香さんは8歳のままだ。節二さんは行方不明後の1カ月間、会社を休み、電話を待った。郁子さんは家にこもった。 「もしかしたら、事情を知る人が客を装って様子を見に来るかもしれない」。玄関にボイスレコーダーとノートを用意し、宅配業者など自宅を訪れた人とのやりとりをつぶさに記録する生活を数年続けた。宗教団体も訪ねてきた。「本尊で拝めば娘さんは帰ってくる」「居場所が分かった」。自称霊能者に言われた場所をすがる気持ちで見に行ったこともあった。何を信じていいのか、分からなくなった。 「3年2学期用」の漢字ドリルは書きかけで止まっている。「途中だったんだよな」。節二さんがページを繰った。筆箱の中の鉛筆は塗料が溶け、隣の消しゴムとくっついていた。 在籍していた小学校の保護者と教職員らでつくった「香ちゃんをさがす会」はすでにない。「長期化して申し訳ない」との両親の思いを受けて、10年前に解散したという。 「忘れられない。記憶の中で固まっていて、これからもずっと消えないと思う」。当時の校長、及川昭さん(75)は香さんとの思い出が脳裏に焼き付いている。 校庭の鉄棒でぐるぐる回っては尻もちをつく香さんに、校長室の窓から声を掛けた。「校長先生、5回できたよ」「次は7回やってごらん」。そんな会話をよくした。 20年前の10月1日は午後から雨だった。「どうしているかな」。雨が降るたびに思いを巡らす。 現在、本宿中学校の生徒や区内のボランティア団体らが、年数回チラシを配るなどして情報提供を呼び掛けている。ことしも今月予定されている。 節二さんは定年を迎え、青森県の祖父母は亡くなった。姉の梢さん(30)は子どもに関わる仕事をしている。 「香が帰ってきてから一緒にお祝いしたい」。節二さんは誕生日の3月30日が来ると、情報提供を求めるポスターの年齢の欄に上から紙を貼り、ひとつ年齢を加えている。

情報提供先

連絡先:旭警察署 刑事課 電話:045(361)0110 URL:旭警察署

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◆ソース元
香ちゃんを捜して

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