老婆

208 :黒 ◆9fw1ZntG8Y :2006/08/12(土) 02:52:50 ID:yNwqTCvu0
夜の帰宅電車でのこと。 
自分はドアのそばに立っていた。 
目の前に一人の若い女性が立っていた。 
ドアを背に寄りかかって、文庫本を読んでいる。 
長い黒髪の地味そうな子だった。 
自分はちょっと距離をおいて立っていたが、次第に増えてくる乗客に押されて近づいてしまう。 

真正面から女性と向き合うのも気まずいので、ちょっと身体をずらしてあげた。 
ふとドアのガラスを見ると、外が暗いので自分の顔が映って見える。 
すぐ隣には例の女性の後ろ姿が。 

なんとなく違和感を感じて、ガラスの鏡越しによく見てみた。 
光の反射の関係か、女性の髪がやけに白く見える。 
目の前の実物女性は、ちゃんと黒髪なのに。 

さらに車内が混んできた。 
女性とかなり密着してしまう状況になった。 
あまりに近いので、女性も本を読んでいられなくなった。 
こちらに背を向け、窓の外を見ている。 
やっぱり女性の後頭部も髪は黒かった。 

すぐ隣でイヤホンを付けた若い男性が、混んでいる車内でやけにソワソワし始めた。 
顔を伏せて、ちらちらと目線を上げたり下げたり。 
それに妙に身体を突っ張って、ドアから離れようとしている感じだった。 

その原因は自分にもすぐ分かった。 
ドアガラスの鏡越しに見える女性の顔が、白髪の老婆の顔だったからだ。 

女性はしっかり立っていて動かない。 
だけど鏡越しのその老婆は、首をかしげながらこちらを交互に見上げている。 
その男性とこちらを見ているようだった。 

道で幽霊に出くわしたとしたら、一目散に逃げるだろう。 
だけど混んでる車内で、得体の知れないものに密着させられている。 
必死で女性から離れようと動いて、周りから肘打ちされたりした。 
隣の男性は、必死な顔でイヤホンをちぎるように耳から外していた。 

ようやく駅について、二人同時に「降ります!」と叫んで人混みをかき分け、反対のドアから飛び出した。 
そして振り返ると、まだ車内にはたくさんの人がいるのに、ドアに映る老婆が人の隙間からはっきり見えた。 
電車が発車して動き出すまでの数秒間、ずっと老婆はこちらを見ていた。 

電車が走り去った後、一緒に呆けている男性と目が合った。 
言わなくても分かるが、一応聞いてみた。 
「君も見ましたよね?」 

同時に彼も口を開いた。 
「聞こえましたか?」 

彼のイヤホンから、音楽の代わりに老婆が何か呟く声が流れてきたそうだ。 
今も耳に残って離れないと言う。 

あれが何だったのか一切分からない。 
ただ、あのときイヤホンを使っていなくて良かったと思った。 

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