ヤマと狐
538 :(1/2)[sage]:2011/06/26(日) 19:27:02.48 ID:/x49BdrkO
ぶった切り失礼、福岡は筑豊の炭鉱記録画家・山本作兵衛(1892~1984)の「ヤマと狐」という作品から。
(絵の脇の解説文を一部要約し現代風に変え、漢数字はアラビア数字に変えたものを書きこみます)
明治35年春の頃K坑の一坑夫がガスケ(←ガス爆発?)で火傷し自宅で療養中のある夜中
その家に突然大勢の見舞客が医師を二人も同行してドヤドヤと訪れた(医師は手術着のような衣服、見舞客は着物)。
重体の亭主(全身が包帯姿で布団に横たわっている)の看護で疲れきっていた女房は、彼らをヤマの役人・幹部有志者だと想ったらしい。
その20人からの来客の中には幼児を抱いている女も2,3人いて、ていねいに挨拶し、慰めて家族を安心させた。
狭い四畳半にギッシリ詰めていたという。
やがて医師はソロソロ(亭主の)包帯をとき治療にかかった。
患者は時々悲鳴を上げた。
客(医師?)は少しは我慢しなさいと言いながら剥いていく。
ながくかかって裸にして東の空の白くなる前、煙のように医師と見舞客たちは消えた。
その時患者は氷の様に冷え既に息絶えていた。
女房はびっくりして大声で泣きわめいた。近所の人もタマげて集まり、取締りや坑医も大勢かけつけた。
患者はすっ裸にされヌッペラボ、正視できぬまでに皮膚をむしとられていた。
これは野狐のしわざとヤマの人たちは地団駄ふんで残念がった。
女房は目が悪く、亭主の弟がいたが盲人で、他には四歳の娘のみでランプは暗い。
"この弱みにつけこんだ悪狐のたぐい おのれ憎い狐め――"と山を睨んでため息をつき無念の涙とどまらず チクショウから命とられた無情の物語。
K坑は深山ではないが周囲は山林で狐は多かった(西欧では二十世紀の文明開化うなっている頃)。
ヤマの住宅が密集している所にこんな怪奇な事件が起こるとはちょっと眉唾ものだが
実際にあったことだから致し方ない。
狐は火傷のヒフ 疱瘡のトガサを好むと言う。