狢の腹

467 :虚の中の男 ◆AFcPKj5UhQ :2006/12/23(土) 04:29:13 ID:ZtVNraxV0
『 狢の腹 』 


ある山の裾に、弘法大師が見つけたという言い伝えが残る湧き水がある。 
湧き水の上には、お大師様を祭る祠が建てられ、村人たちの信仰と安息の場となっていた。 

ある若者が、病に伏した母の回復を願い、峠二つ向こうの家からお大師様の下へ足を運んでいた。 
そして、どんな病にも効くというこの湧き水を、竹筒に入れて持ち帰っていた。 
若者の参拝は毎朝続き、村人たちの誰もが親孝行な息子だと感心を寄せた。 

その様子を面白くない顔で見る者があった。この山に住む狢(むじな)である。 
狢もこの湧き水で毎日のように喉を潤していたが、竹筒で水を持ち帰る若者を見て、 
湧き水をすべて持ち去ってしまうのでは、という不安に駆られた。 

狢は若者を湧き水から追っ払おうと、様々な策を施した。 
若者が水を汲む時に湧き水をせき止めてみたり、物の怪に化けて驚かしてみたり… 
しかし、母を思う若者の心を打ち負かすまでには至らなかった。 
そこで狢は一計を案じた。若者が水を汲みに来る「元」を絶とうというのである。

ある朝、若者はいつものようにお大師様にお参りをし、湧き水を汲んでいた。 
また狢に邪魔されるかと思い、周囲に気を配ったがその姿は無く、安心して水を汲み終え家路に着いた。 
家に帰った若者は、湧き水を母に飲ませた。ところが、母は突如苦しみだしたのだ。 
それは湧き水ではなく、狢の小便であった。若者の母は、ただでさえ体が弱っていたところに、 
そんな穢れた物を口にしてしまい、苦しみに苦しんだ。そして苦悶の表情を浮かべたまま、やがて果てた。 

粗末な葬儀が済んだ翌朝、若者はお大師様に参った後、水を汲まずに帰っていった。 
若者のうな垂れる顔を見ながら、狢は大口を開けて湧き水を飲んでいた。 
そんな狢を見て、村人たちは棒を手に追っ払おうとしたが、狢は悠々と喉を潤し藪の中に消えた。 

それからしばらくして、狢は湧き水を飲みに来なくなった。 
村人たちが不審に思っている中、湧き水が流れ落ちる下流の沢の底で、あるものが見つかった。 
狢であった。狢は沢の底で、大口を開けて沈んでいた。 
その腹は大量の水で膨れ、はちきれんばかりであったと云う。 


狢の腹が大きいのはそんな訳である、とこの地の民話は伝える。 
弘法大師の湧き水は、狢の心配を余所に、今でも枯れる事無く滾々と湧き出ている。 

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