ニエザル

378 :虚の中の男 ◆AFcPKj5UhQ :2006/12/20(水) 05:41:13 ID:eGmF8VHW0
H氏は散歩がてら、デジタルカメラで風景写真を撮るのを趣味としていた。 
特に、デジタルの時代とはかけ離れた、古い民家や路傍に佇む小さなお社などを 
ファインダー越しに覗いていると、得も言われぬ幸福感に包まれるのだった。 

秋も深まったある日、H氏は自宅から徒歩で行ける里山へと被写体を探しに向かった。 
子供の頃から住み慣れた街ではあったが、山の方となると知らない物ばかりが 
目に止まり、興味は尽きなかった。自ずと足が前に出た。 

里山の中心に、一際目を引く美麗な山があった。 
そこは小さな山ではあるが、円錐型の整った容貌から日本一有名な山と同じ名を冠し、 
地域住民の信仰を集め、頂上には神社が祭られていた。 
(子供の頃、遠足で一度登ったっきりだな。)H氏はそう思い出し、麓の鳥居をくぐった。 
昔と違って、いつの間にか遊歩道が整備されており、難なく頂上の社までたどり着けた。 

あやふやな作法で参拝した後、神社を撮影した。本殿は簡素な造りではあったが、 
歴史を感じさせる荘厳さで、H氏のシャッターを切るスピードも増した。 
ふと、神社脇の大木を見上げると、枝に薄桃色のひも状の物が巻きついている。 
色素を欠いた白蛇かと思い、これは縁起が良いとばかりにH氏はレンズを向けた。

しかし、それは蛇ではなかった。うっすらと血管が透き通り、所々、血が滴っている。 
肉。皮を剥がれた肉が、細長く引き裂かれ、枝にグルグルと巻きつけられていたのだ。 
辺りには、木々や土の匂いに混じって、肉の生臭さがほのかに漂っていた。 
H氏は血の気が引き、カメラをゆっくりと下ろす… 
「やめんしゃい!」と、背後から突然声をかけられた。 

振り返ると老人がいた。私服だったが、話からすると神職に携る人らしい。 
H氏は枝の肉の事を聞くと、老人はしばらく沈黙した後、口を開いた。 
「あれは神社の祭り事とは関係無か。昔から何年かに一度、 
何者かがああして神木に肉を結びつけよる。わしらはニエザルと呼びよるが。」 
おそらく『贄猿』とでも書くのだろう。猿の肉なのですかと聞くと、 
「便宜上、そう呼びよるだけで、何の肉かはよう分からん。 
どっちにしろ、気違いのする事やけん、人に話さん方が良か…」 
そう言って老人は背を向け、本殿へと入っていった。 

H氏は遊歩道の階段を駆け下り、すぐに山を後にした。 
家に帰ってから、少し迷ったが、その日撮影した写真をすべて消去する事にした。 
カードを初期化中、鼻の奥から生臭いにおいが漂ってきたが、 
H氏は頭を大きく振って、それを鼻から吐き捨てた。 

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