光と影

184 名前: 全裸隊 ◆CH99uyNUDE 2006/03/15(水) 00:09:52 ID:EqZdSFzO0
堕胎させるために、妊婦を高所から突き落とす。 
同じ目的で、妊婦を水に漬ける。 
身勝手には違いないが、そうしなければ、多くの者が 
生き残れない土地が、あちこちにあった。 

細い流れの滝が作り出した、小さな淵。 
黒っぽく光る水は、とんでもなく低温で、漬けた指先は 
いつまでも冷たいままだった。 

「何人くらいかな・・・数えた奴もいないだろうな」 
そこら一帯の山について滅法詳しい男は、そんな言葉でしか 
その淵の歴史を語らなかった。 
彼の祖父は、母親の胎内にいる時に、この淵へ母親もろとも 
叩き込まれたのだ。 
幸い祖父は生まれ、そのおかげで彼も生まれた。 
その淵を通って、一人で山の奥へ入ると告げると、 
お前は、ここの人間じゃないもんな、とだけ言った。 

来るはずのバスが来なかったり、知っているはずの山道が 
見つからなかったり、そんなこんなで、予定が狂ってしまった。 
通過するはずの、その淵にたどり着いたのは夕方だった。 
その日の宿営予定地までは、まだ2時間以上かかる。 
ここで寝るのは気色悪いが、諦めるしかなかった。 

早く寝すぎたせいで、夜中に目が覚めてしまい、テントを出た。 
ヘッドランプは一瞬だけ光り、電球が切れた。 

水際に人のような影。 
影が水面に手を差し伸べると、水中で光が湧いた。 
小さな光が水面を押し上げ、弱い波を立てると、影がひろげた 
腕の中へと集まった。 
影が小さな光をつまみ上げ、その手を高く差し上げると、 
手の中から柔らかな光が伸び、かすかな風に揺られながら空へと 
昇っていった。 

声が降ってきた。 
「こいつらは、新しいおふくろさんの腹へ入るんだ」 
堕胎させられた子供が生まれ変わるのだろう。 
「違うな」声がまた降ってきた。 
「魂など、とうに滅んだ」 
「恨みだけが淵に残り、時を待つ」 

この時間、おそらくは眠っているであろう妊婦の腹に、 
恨みそのものが入り込む光景を思い浮かべた。 
光の姿をした恨みが、胎児へと。 
その妊婦は、前世でこの淵に突き落とされた母親ではあるまいか。 
前世というより、繰り返される輪廻の中での出来事かもしれない。 
恨みは、堕胎を強要した者でなく、母親に向けられるのか。 
そんなことを考えた。 
否定する声は降ってこない。 
無論、肯定する声もない。 

最後の光を空に放った影が、淵に溶けて消えた。 
俺は闇の中、滝の音を聞いていた。 

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