女難の家系

178 本当にあった怖い名無し 2011/04/27(水) 20:55:25.44 ID:VuRaxvaEO
携帯から失礼します。 
あんまり怖くはないと思います。 
先日まとめサイト?で「コトリバコ」を読んで、私の家系にもあれに似たことがあり、 
願わくばここの方々の専門的な知識、助言や考察を賜りたく思います。 

単刀直入に言いますと「本家の女は四十歳を迎えない」んだそうです。 

確かに、私が知る限りですが、祖母、曾祖母は若くして他界しております。 
しかし、私は親戚のその言葉を「偶然」の一言で一蹴しました。 
と言うよりも、この家系にそれほど長い歴史があるとは聞いていないし、 
由緒のある家系だとも聞いていませんでした。私はオカルトも信じていませんでしたし。 
事実、本家がある田舎を離れてもう二代も過ぎていますし、去年に本家の家屋を取り壊した際も、 
親戚一同は大きな躊躇もなく「まぁ、仕方がない・・・・」と言ったり、中には宴会よろしく酒を呑む人までいました。 
そんな人達が云う因習に、信憑性はまったく感じられなかったんです。 
それに今はそんな時代でもないじゃないですか。 

けれど、何か引っかかったんです。違和感と言いますか、モヤモヤといいますか... 
ついでに湧いてきた好奇心や探求心にまかせて、調べることにしたんですよ。 

件の会議(飲み会?)の明くる朝、取り壊しが決定した本家に向かうことになりました。 
私が幼い頃に何度か来たことがあるそうなんですが、記憶にあるのは離れた所にある薄暗い厠と、 
兄と二人で散策してこっぴどく叱られた、大きな蔵です。 
まぁ幼い頃に見て感じたほどおっきくはなかったんですがw 

家屋自体はもう半壊していました。 
そもそもは半壊した家屋が危険で近所の子供の遊び場になることを懸念した親戚の提案なんですがね。 


数人が中に入り、遺影や仏壇などを運び出していました。大方片付いたところで親戚のkさんが 
「蔵はどうする?やっぱ残すんか?」 
と少し神妙な表情で蔵の閂に手をかけました。 

「あぁ・・・・・・」 
と数人は作業の手を止め、互いに目を合わせて一息。真剣な表情で蔵に向かいました。 

なにやら空気が変わったので、私も粛々とそちらに向かうことにしました。 

鼻をかすめる埃っぽいような、カビのような臭い・・・ 
凡そ夏の景色には不似合いな、しん・・とした暗い室内に、少し胃の辺りがぎゅうっとしたの覚えています。 

中ではkさんが率先して、あれは?これは?どうする?と周りに相談しています。 
方言のおかげで何が何だかさっぱり分かりません。 

私は高く積まれた書物に目がとまり、その内の一冊を手にとりまして、ぱらぱらと見ていました。 
ミミズのような文字に悪戦苦闘しながらも、漢字や行からどうやらそれが人名であると確認できたんです。 
ここにきて表紙を見てみました。 
ほとんどがシミに喰われたりでよく読めず、頭に漢字の一部と末尾の漢数字はかろうじて読めました。 
他の書物も何冊か見たんですが、やはり同じようなもので私には皆目見当もつきません。 

私が「kさん、これってなんの・・・」 
と言うなりkさんが 
「ああ、いらうないらうな!(触るな触るな)」 
と邪険にジェスチャーでしっ!しっ!と出て行くことを促します。 

本家ではありますが余所者である私はそこにいても何の役にも立たない。 
分かってはいますが腑には落ちません。 

あとでめちゃくちゃしつこく訊いてやろうとか思いながら、蔵を後にしました。 

出した荷物も積み終わる頃には日が高くまできており、一行はyさん宅で昼を取るとのこと。 
「nくんの分もあるから安心しぃな」 
私の顔色をうかがってくれたのか優しい言葉にいやしくも同行することにした。 


軽トラの荷台に乗り込み、ガタガタの山道を先ほどのkさんと揺られていた。 

「nなぁ・・あれはまた後でゆっくり話しをばするから待ちよ・・・ 
とりあえずあいつらとも相談せないかんからのぉ」 
と目配せをした。 
視線の先には先頭を走るyさんや親戚の人。 

ふるさとと言えど知らない土地で見知らぬ親戚を名乗る人々、本当に親戚か? 

(ここはなんてヒナミ○ワか・・・) 
そう思った、本当に思った。 



そんなくだらない勘ぐりをしていたら早くもyさん宅に到着。 

荷降ろしは後回しにしようと言うことで、冷たい麦茶とひやむぎをいただいた。 

耳をつんざく蝉の声をBGMに縁側でへたり込んでいると、kさんがスイカを持ってこちらにきた。 
「食いなぁ・・・」 
礼も早々によく冷えたスイカに舌鼓を打つ。 


スイカのタネをマシンガンのように飛ばしながらkさんがおもむろに語りはじめた・・・・ 

「あれはなぁ・・・カルテよ、カルテ」 
「は?・・え?」 
眼前の景色や人からは不釣り合いな単語に困惑した。 
「いやぁ、おまん本当になんにも聞いとらんのか!」 
「はい・・」 
なんだか情けないような不甲斐ないような。 
いやしかし、合点がいかない。字や書物の痛みを見るに相当古いのは違いない。その時代にカルテ? 
私は素直にその疑問をぶつけた。kさんの方言まじりの言葉を要約するとこうだった。 

今から100年くらい前、この家は名家だったらしく、医院を営んでいたそうだ。 
その医院の名前は○○院と言ってこの辺り一帯の地名にもなっていた。 
その医院の患者の名簿や記録をしていた。それがあの書物なんだそうだ。 
にしても多すぎやしませんか? 
訊けば書物はそれだけではなく、中には研究書のようなものもあり、 
医院に関係しないもっともっと古いものもあるそうだ。それこそ数百年前のもあるとぞ言っていた。 

私は流れに乗じて気になっていた例の因習について訊いた。あれは事実なのか?きっかけはなんなのか? 
「・・・んぅ・・・・・」 

背中に視線を感じていた。誰とかでなく。今この会話に聞き耳を立て、様子を見守るような視線。 
kさんはこの視線に気付いているだろう。この質問にこの状態でどんな反応をするのか。 

沈黙のあいだに一瞬だけ苦虫を噛んだような、泣きだしそうな、そんな顔をした。 
私はできれば信じたくなかった。 
先祖の因縁、怨恨、呪い、業、etc.. 
しかし、それはどうやら本当にあるのかもしれない。 

人は物事を鮮明に思い出そうとしてる時、一瞬だがその事柄に纏わる感情が表情となって現れる。 

また胃の辺りがぎゅうと締め付けられた・・・・・ 

「皆よぉー、荷物ば降ろすどぉー」 

kさんと私との沈黙を破ったのはs叔父さんだった。 

s叔父さんの号令に「ぅおーい」とだらしない返事をしながら皆が軽トラの荷台に群がった。 
荷物をあれやない、これやないと言いながら仕分けして家に運んだり、別の車に積んだりしている。 
私は手持ち無沙汰が過ぎてs叔父さんに手伝えることはないか?と訊いた。 
「そうなぁ・・あ、そうそう!nくんはヒロとかんぬっさんとこ行ってきて! 
ヒロは下の川にいるからね」 

ヒロは私の従兄弟で、同年代ということもあり幼い頃から仲良しで今でもたまに連絡を取り合う仲。 
彼の所へ向かう道中、鬱々としたあの空気をどうにか振り払い、冷静に考えをまとめていた。 
信じるだとかは後回しにして、まずそれがあるんだとしっかり受け止めることが重要だと。 
具体的な話はまったく見えて来ないが、最悪な話を想定しておく。 
それを受け入れる態勢でないとあちらは話せないだろうし、 
私も堪えかねない話を聞くことになるかもしれない。 

(ああ・・・マジなんかな・・・・・・) 

「おい!nか!こっちこっち」 
声の先には喜々とこちらに手を振るヒロだった。 
私もなんだか嬉しくなって、がらにもなく「おーい」だとか言って手を振って応えた。 
ヒロはどうやら沢で何かをしているようなんだが、釣り具はなかった。 
「nかぁ久しいなあー!あれらの相手はお前にゃ大変ろ?ん?w」 
とイタズラな顔をしてみせる。私も素直に「確かにお前の相手の方がよほど楽だな」と嘯き笑った。 

そうしてひとしきり互いに懐かしみ笑い合った後、 
「叔父さんがお前とかんぬっさんの所へ行けと言ったんだが、何か聞いてるか?」 
と訊ねた。 
「おーそうか!壊すの決まったか!よしよし、行こう行こう」おおよそ地鎮祭のような、そういった儀式の必要性は感じていたので私も彼の軽いノリに任せた。 
彼は草履と上着を羽織ると行くかー!と言って意気揚々と沢を上がった。 

「ところで、お前あそこで何してたんだ?釣りでもないみたいだし」 

「うん、はぁなんにもないよ!まぁまた後で話をばするわね」 

少し真剣な目をしたので、探るのは止めた。 

大変なのは俺なんかよりも、お前みたいなあいだに立つ奴なんじゃないのか? 

今になってそんなこと考えたりするよ・・・・・ 

まるでその山の玄関のような鳥居と、その斜面に続く恐ろしく長い階段。 
両側を木々で挟まれて陰になっていると言っても、真夏日にこの階段はキツい。 
「都会で体がなまったかnよぉw」 
「っるせぇwにしても長くないか?」 
本当にキツくて熱中症にでもなるんじゃないかと。 
「んにゃ、ガキの時分はよう登って遊んだろがw」 
ヒロも口は軽いが体は重そうだった。 

・・・着いたか? 
ヒロが社内の右手にある小さな詰め所のような社の戸を叩いた。 
「やぁ、こん暑い中よぉ来たねぇ。あがりあがり」 
そう言って神主さんは私たちを招いた。足が・・・足が酷く笑う。衰えを感じた。 
空調で冷えた室内が心地よく、乾いた喉にもきんと冷えた清水がもてなされた。 
一息をついて彼と私は神主さんに経緯と、また解体当日の朝に迎えにあがる事を伝えた。 
役目は終えたようだが、体はどうも涼みたいようで、彼ともその意見は合致した。 
静かな社に移動し、二人でつかの間の休息と、これから慌ただしくなる時間の分をゆったりと過ごしていた。 
まどろむ私たちの後ろから神主さんの声がした。 
「そういえば、s田さんの家の本家のnくんよなぁ?」 

「はい、そうですが・・・」 

「あの話は聞いてるよね?」 
「えっと、どの話でしょうか・・・?」 

神主さんは静かに頷くと、「また今度になるね」そう含みと余韻を残した。  

下りの階段は行きにくらべて楽だった。 
陽の加減もあるだろうが、距離と経験のある道は幾らか気分が軽い。 

私たちはyさん宅へと戻り、 

「かんぬっさんとこ行ってきたど」 
ヒロがそう言うと、「ああご苦労様」と叔父さんは労ってくれた。 
どうやら荷物の整理は終えたようで、先ほどの荷台の面影はない。 
陽はいよいよ低くなり、先刻のつんざく声はヒグラシに交代していた。 

s叔父さんが 
「nくん暑い中ありがとうね、あ!そうそう!このあとまた呑むから、中に入ってな 
kさんが旨い焼酎持ってくるってさっ!」 
「あ・・・はぁ」と生返事をしながらふと隣に目をやるとヒロと目が合った。 
表情を見て確かに叔父さんの子だと再度確信した。 


酒の席、どうやって上手くkさんから話を引き出すか。そして私が飲まされないように交わすか。 


そして、 
なぜ・・・・ 

なぜ私には母がいないのかを・・・・・ 

陽が落ちた頃、古民家yさん宅にはぞろぞろ人が集まる。 
ヒロはもちろん、昨日は見ない顔がたくさんならび、私もそわそわと落ち着かない。 

陽と月が交代するころには宴の準備が整ったようで、大きなちゃぶ台には大皿に盛られた美味しそうな料理がでんと並ぶ。 
私も空いた座布団にちんまりと座り、乾杯にまじった。 

料理に満足した人は各々の遊びを楽しんでいるようで、私もヒロに返盃を誘われ。少しくらいならと酒に興じた。 
凡そ二人でバカ笑いしながら一升を呑みきった頃、kさんがこちらへ来た。 

「ちょっとついて来ちゃれ」 

そう言うなり二人とも来るようにとジェスチャーし、私たちは素直にkさんの後をついていった。 

騒がしい縁側を背に、虫が鳴く夜、月がkさんとヒロと砂利道を照らす。 

少し歩くとkさんが口を開いた。 

「おいは今酔っとるからのぉ・・えぇか!酔っとるのよ・・・」 


「n!お前の話ぞ!・・・・」 

その時のkさんの表情と抑揚を今でもはっきり覚えている。 

彼の方言と酒を交えた話を要約すると、うっすらではあるが全容が見えて来た。 

今から500年ほど前に本家、つまり私の祖先は代々その土地を治めていたそうなんだ。 
作物の品種改良や田畑の効率、自然の理(ことわり)や大量生産の先駆けを民に説いたそうだ。 
それに神仏に至るまでを語り、今でいう哲学のようなものを伝え広めたんだそうな。 
それを良いことに悪政を働きはじめ、私欲に走り出したちょうどその頃、 
それに異を唱え反論した勢力や、民がすべからく生まれ。その知恵や知識の根源を問うたそうな。 
先祖はそれをひた隠した。なぜならそれは西国や唐国からの知識であり、 
それらを寛容に「然り」と受け入れられるような時代ではましてなかったし、 
なにより私欲を守る為に知識を分け与えるなんてことは絶対に有り得なかった。 
それから人々の信仰からくる不信や異端の意識からの亀裂が生じたらしい。 

ちょうどその頃、東からの文化で、呪術を司る賢者が現れ、ここいらの土地の民の話を聞いたんだそうな。 
それに心打たれた賢者は民にある呪術を教えたんだ、それが女の血を絶やすという呪術なんだと。 
男が百人いても、女が五人なら年に五人しか子はない。 
しかし、男は五人でも女が百人なら、年に百人の子を生むことができるからと・・・・。 

その呪術により、この家系は女が長く生きられないんだそうな。 

kさんはついでに語ってくれた。 

こんな話をしなければ歴史は打ち消せるんではないのか? 
呪いや呪術なんて伝えなければいい。暗い先祖の歴史なんて知らずに生きればいい。 
そうしていれば、いつかはなくなるんじゃないか? 
だから私の祖父と祖母はこの地を離れ、私と私の両親が育ったその土地選んだのだと。 
だから、私も私の両親もこの話を知らないとkさんは語った。 


「nくんのお母さんが死ぬまではなぁ・・・・」 

私はこみ上げる感情を抑えきれなかった。 

「ど、どう言う意味ですか?」 
「お父さんは知っとるよ、この話・・・」 


幼い頃の記憶・・・、親父は酒に溺れていた。 
いつか、私が訊いた・・・ 
「なんで母ちゃんいないの?」 

親父の顔はみるみる真っ赤になって、 
「うるさいっ!お前には母さんがいないんだ!それがどうした!!」 
その後も叩かれ、罵られてすごく恐ろしかった。 
私たち兄弟の聞いてはいけないタブーだった。 


また胃の辺りがぎゅうと締め付けられて・・目に映る景色が、じわっと滲んだ・・・・。 

或る朝、空はどこまでも高くて、空気は澄み切っていた。 
私たちは本家に向かい、神主さんの祝詞を聞き、作業を手伝った。 

いやに清々しい日和に、私の重苦しい心の毒気も、あの綿雲のようにふわふわとたゆたうものに交代した。 
労働に汗を流しながら、ヒロと煽り合い、バカみたいに笑い合いながら、少しずつ現実を受け入れた。 

それまで想像もしえなかった暗い歴史の上にある自分の命。 
それは私がこれからも謙虚に生きていく為の糧になるんだろう。 

皆さんもぜひ家族や親戚に昔話を聞いてみてほしい。 
案外、不思議は近くに転がっているもんですよ。 

けれどね、現実という奴は決して一つじゃないようだ。 
この話に後日談があるように、歴史はそう単純に語れない・・・ 

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