お父さん

276: 1/2:2010/08/14(土) 15:50:31 ID:1sqOXHD40
堀井雄二がドラクエでブレイクする以前、雑誌のコラムで書いてた知り合いの子の話。
(桃鉄以前のさくまさんだったかも?まあどっちでもよろし)

彼女(仮にAちゃんとする)が住んでいた家の玄関はガラスの格子戸で、
腰掛けて靴を脱ぐところ、上がりかまちっていうの?そのすぐ後ろにも
すりガラスの引き戸がはまってた。だからAちゃんのお父さんが
「ただいまー」と帰ってきて靴をぬぐと、その影がすりガラスごしに見える。

お母さんは廊下に顔を出してその大きなシルエットに「お帰りなさーい」と
声をかけるのがいつもの光景だった。
だけどAちゃんが6年生のとき、お父さんは家で突然倒れて、そのまま
運ばれた先の病院で亡くなってしまった。
前ぶれもなく伴侶を失ったお母さんの悲しみようは深かった。

玄関のコート掛けには、倒れる前日、会社から帰ってきたお父さんが
ハンガーにかけた背広がそのままになっていた。いや、お母さんが
そのままにしていたのだ。まるでそうしていればひょっこりお父さんが
帰ってくるとでもいうように。

Aちゃんにもその気持ちはよくわかった。だけど、三ヶ月ほどたったある夕方、
背広を見ているうちにちょっとイタズラしてやろうという気持ちがわいてきた。
いつまでも泣いてちゃダメだよお母さん、お父さんだって浮かばれないよ、
という思いもあったのだろう。

お父さんの背広をそっとはおって、格子戸をわざと大きな音をさせて開ける。
すぐさま上がりかまちに腰かけて靴を脱ぐしぐさ。
背広はブカブカだったけれど、夕陽に照らされてすりガラスに映った影は
お父さんのように大きく見えているはず…

「はーい、どちら様で…」 
お母さんが息を呑む気配がした。
「…あなた…なの?」

その瞬間、Aちゃんの胸に後悔の念がおしよせた。
その声は『お母さん』ではなく『夫に呼びかける妻』のものだったから。
ちょっとからかうつもりだったのに、心の底からお父さんが
帰ってきたと信じてる。
ごめん!お母さん!ほんとはアタシだよ!
あわててそう言ったつもりだった。

でも、口から出た言葉はちがった。

太い 男の声で

「 ただいま… 」 

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