740: 全裸隊 ◆CH99uyNUDE 2006/04/18(火) 22:15:12 ID:/5g0Imqe0
物悲しい気分で、濡れた壁を見上げた。 
岩に取り付く前の、あの浮き立つような高揚感が湧かない。 
岩の下に立つうちに気分が沈みはじめ、 
無性に悲しくなってきたのだ。
同行している友人達は登ってしまった。 
張られたザイルが、しっかり確保されていることを確認し、 
岩に取り付こうと足場を固めた。

不意に、料理をしたいという衝動が噴き上がってきた。 
ブリの照り焼き、ポテトサラダ、厚揚げの煮物。 
ただし、頭に浮かんだレシピは、どこかしら普段と違う。 
想像の中、使うガスコンロは、自宅にあるものと違う。 
作ったものを、誰かに食べて欲しいと強く思い、涙がにじんだ。 
誰に食べさせたいのだろう。 
その誰かの存在を、近くに感じた。 
涙が、流れた。

見上げると、目の前に岩がある。 
見上げながら、自分の意識が、女のそれになっていると感じた。 
この岩に、刻み込むような強い思いを残した女だ。 
彼女は、どこかで生きている。 
すでに悲しみを乗り越えただろうか。 
ここには、彼女を押し潰すほどの悲しみが、じっとり残っている。

料理を食べて欲しいと彼女が願う相手は、ここに居る。 
次回来るときは、さっき頭に浮かんだレシピどおりに料理を作り、 
持って来ようと心に決めた。

爽快な気分で岩を見上げ、登攀ルートを視線でたどった。 
岩に取り付く前の浮き立つような高揚感が、 
胸を満たしつつあった。

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