239 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:03/06/28 23:51
姉の様子が最近変だ。 
キッチンのテーブルに腰掛け、口をポカーンと開け、 
空ろな目つきで視線を泳がせている。 
以前は風呂場や自分の部屋をうろついていたが、この 
何日かはキッチンにいついている。 

去年母方の祖母が亡くなったが、あの時のことが本当だったのだろうか。 
祖母は意識が混濁する前に、僕を枕元に呼び寄せ、確かに言った。 

「あの子(姉)もかわいそうだけど、逆恨みされるおまえも不憫だよ。 

おばあちゃんが一緒に連れて行くから、それまで辛抱してな」 

姉と僕は異父姉弟だった。 
四つ年下の僕は両親から可愛がられたが、姉はそうじゃなかったのだろうか。 
十代後半には家を出て男と暮らし始めたが、両親は真剣に将来を考え、 
必死に引き止めた。 
高校も中退し、警察から補導されるまで荒れていた姉は、両親に反抗し 
て聞く耳を持たなかったというのが事実だと思う。 

その姉が再びうちに戻ってきたのは、自身の葬儀のときだった。 
深夜に同乗していた男の車が交通事故を起こし、即死だった。 
お通夜が終わり、弔客がすべて引き上げ、家族だけで過ごした夜 
のことを、僕は忘れられない。 

真夜中、客間の六畳で誰かの声がした。 
僕は疲れきって寝ている両親をそのままにして、一人で部屋へ行った。 
そこには、姉がドライアイス入りのお棺に安置されている。 
怖くはなかった。 
十年以上一緒に暮らして、家族仲の良い時期もあった。 
姉は中学に入った頃くらいから僕と口を聞かなくなったが、 
激しく反抗したのは母親だった。 
僕は姉のことが嫌いじゃなかった。 
憧れみたいなものもあったような気がする。 

僕は好きだった姉に、最後の挨拶をしておこうと思った。 
姉は事故の際ひどい怪我を負い、顔半分に包帯が巻かれていた。 
それでも奇跡的に、右半分はかすり傷ひとつなかった。 

お棺の開き扉をそっとあけ、昔の面影が脳裏によみがえろうと 
する刹那、信じられないことが起こった。 

姉の閉じられた瞼が、ぱっちりと開いた。 
白濁した瞳がゆっくりと僕を捉え、口角が震えている。 

僕は思わず顔を横にして、聞き耳を立てた。 
姉が生きている。その奇跡を確かめたかったからだ。 

「おまえも連れて行く」 
呪詛の言葉が姉の口から漏れた。 
僕は驚いて後ずさりし、少し離れた所から姉を見つめた。 

姉は目を閉じたままだった。 

僕は両親が寝ている部屋に戻り、がたがたと震えていた。 
明け方になって気持ちが落ち着き、幻覚を見たのだと思った。 

今では、それが幻覚じゃなかったことが分かっている。 
姉は僕の前に時々現れ、にらみつけることもあるし、悲しげに 
見つめることもある。 
僕に何かを言いたいのだろうが、声をかけられないようだ。 
それでも、姉は僕に会いたがっているような気がしていた。 

・・・・その姉が最近変だ。 
やはり祖母が連れて行こうとしているのだろうか。 

姉の姿がフェイドアウトするのを確認して、僕は真夜中のキッチン 
から立ち去ろうとした。 
イスをテーブルに戻して振り返ると、そこに祖母がいた。 

「今すぐこの家からお逃げ」 

祖母は僕にそう言った。 
「あの子はおまえを連れてくつもりだよ」 

僕は一瞬のうちにパニックに陥った。祖母はまるで生きている 
かのようだった。 
「全部あの子の父親が悪いんだ」 
父親・・・?つまり僕の母親の元夫に当たる人のことか? 
「あの男が血筋を絶やそうとしている」 

僕は夢を見ているような気がして目を閉じた。 
頭を振って再び目を開くと、なぜか母親が立っている。 
夢遊病者のようにふらふらと体を揺らしながら、僕の方に近寄ってきた。 
そして、突然こちらをカッと睨み付けたかと思うと、 
男の低い声で語りかけてきた。 

「一緒に死ぬんだよ」 
母親の手には包丁が握られていた。 

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