巡洋艦「畝傍」

423 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/09/12 22:38
巡洋艦「畝傍」失踪事件 
明治海軍は拡張計画に基づき巡洋艦三隻の建造を計画、英国に「浪速」「高千穂」が、 
仏国に「畝傍」が発注された。 

明治19年 8月竣工、同年10月18日に日本への回航されることとなり、飯牟礼俊住海軍大尉以下の八名が 
回航員として乗り組み、仏側は76名の操艦員が乗り組んだ。 

12月 3日、最後の寄港地シンガポールを横浜に向けて出港したが、入港予定の13日になっても到着せず、 
その後の捜索でも遂に同艦はおろか、遺留品さえ発見することは出来なかった。 

日本海軍70余年の歴史の中で、完全に行方知れずとなったのはこの「畝傍」のみ 


424 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/09/12 23:35
明治か・・・まあ実際は、その頃の捜索手段というか技術じゃ発見できなかった 
だけで、きっと普通に何かの事故で沈んだんだろうが・・・ 
神隠し、みたいな異次元への消失系だったと想像すると夢があるね。 

前の話へ

次の話へ