神の手

899 1/2 New! 2013/01/29(火) 21:51:41.35 ID:zIvHCY4o0
ある山男の話 


この話の体験者は、話者によると「本物の山狂い」であるそうで、暇さえあれば山に登っているような男なのだという 

ある日のこと。この男がとある山へ登ったが、程なくして猛吹雪に見舞われた 
疲労困憊しながらも雪中で決死のビバークを行い、二日後に自力で下山したものの、代償は大きかった 
彼はこの遭難によって、左手の人差し指、中指、薬指を凍傷で失うこととなったのだという 

しかし、この程度でへこたれないのがこの男、というより、「山狂い」に共通する性格である 
左手の指をほとんど失っても、彼は山に登るのを諦めなかった。むしろ、以前よりも山に対する闘志が強くなったのだという 
彼は失った指をカバーするために死に物狂いの研鑽を積み、やがて再び登山を志した 



事件後、初めての登山だった。彼はある峻厳な岩の尾根を登っていた 
指を失いはしたが、本人が思った以上に歩調は快調だった。そのことに安心して、尾根の上で体を起こし、ふぅ、と息をついた途端だった 

びゅう、と思い出したように突風が吹き、ふわりと体が持ち上げられた 
あっ、と思った時にはバランスを崩して、深い谷に真っ逆さまに落ちそうになった 

(あっ、落ちる) 

そう思った時には、自然と体が動いていた 

一瞬、間があって、彼は目を開けた。そこで、彼は信じられないものを見たという 


彼の体は、無意識のうちに左手を斜面に張り出した岩に伸ばし、それで滑落を免れていた 

ただよく見ると、左手に残された親指と小指は、掴んでいるはずの岩の出っ張りを掴んではいなかった 
それどころか、その二本の指は、その岩の出っ張りに触れてすらいなかった 


彼は宙に浮いていたのである 


しかし、彼にはわかった。失われたはずの三本の指が、その岩をしっかりと掴んでいる感触があったのだ 
目に見えない三本の指が、彼の命を救っていた。極限の緊張と恐怖の中で、彼は何度も目を瞬いたという 

やがて彼は見えない三本の指に体重を預けたまま、必死に無事な右腕を岩の出っ張りに伸ばし、全身を持ち上げた 
艱難辛苦の果てに尾根に全身をずり上げた後、彼は左手を見てみた。しかし、当然ながらそこに無くした指は戻っていなかった 
けれど、彼の幻の左手の人差し指、中指、薬指の三本の指に、岩のごつごつとした感触が消え残っていたという 



「俺はついに、神の手を手に入れたようだ」 



彼は事あるごとにこの時の体験を口にし、真っ赤な顔で笑うという 
 
 

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