キスリングを背負う男


702 雷鳥一号 ◆zE.wmw4nYQ sage New! 2013/08/19(月) 19:58:09.95 ID:W1HFvYnk0
友人の話。 

彼とは随分昔からの山仲間なのだが、すっかり出不精になった私と違い、 
あちらは今でもよく山に登っている。 
この前久しぶりに逢った際、最近はどこを登っているのかという話になった。 
よく一緒に登っていた岳を思い出した私は、 
「あそこには今でも行っているの?」と尋ねた。 

彼は顔を顰めて、次のような話を聞かせてくれた。 
「今はあそこに登ってない。っていうか近寄っていない。 
 前にS君と登ったんだけど、下りてから彼が変なことを言ったんだ。 
 『今でもキスリングを使ってる人、いるんだな』って。 
 何のことだと尋ねたら、 
 『僕らの前に、キスリングと鳥打ち帽姿の登山者が歩いていただろ』って、 
 そんなことを言う」 

キスリングザックとは、昔使われていた帆布製のリュックサックのことだ。 
大容量で頑丈だが、横幅が広い構造で、肩への負担が大きい。 
またパッキングも難しいことから、今ではほとんど使われなくなっている。 

「S君によると『下りの途中からずっと見えてたぞ』なんて言うんだけど。 
 僕はそんな格好の登山者なんて、誰一人見ていないんだ。 
 というか、あの日は僕ら以外、誰もあの山道を歩いてなんていなかった。 
 彼は『いた!』、僕は『いない!』って押し問答になったんだけど、 
 まぁそこは取りあえずそれで終わったんだよね」 

「後日、別の山仲間にこの話をしてみたんだ。何の気なしに。 
 そうしたら、えらく不気味な話を教えてくれた。 
 その彼女曰く『私たちもあの山で同じ体験をしたことがあるわ』って。 
 まったく同様に、彼女の連れの内、一人だけが目撃していたんだって。 
 そう、古風なキスリングを背負った男性の姿を」 

「見えた子は『私って霊感があるから』なんて嘯いていたそうだけど、 
 それから二ヶ月くらい後に、突然死んじゃったらしい。 
 その内に誰かが『あの子が見た男性は、死神だったんじゃないか』なんて 
 言い出して、えらく怖い思いをしたんだとか」 

そこまで聞いてから、私は静かに問うた。 
「……この前君と逢ったのは、S君の葬式の時だったよね。 
 今聞かせてくれた話は、一体いつぐらい前の話なんだい?」 

彼が答えるに、 
「葬儀の日より二ヶ月以上は前だね。三ヶ月は経っていなかったと思う」 

少し鳥肌が立った。 

「……本当に死神を見たのかな?」と言う私に、しかし彼は否定的だった。 
「いやそりゃ、違うと思うんだけどね。 
 あそこって結構有名所だし、年に一体何人が登ってると思ってんの。 
 話題にそうそう上らないってことは、何とも無い人が大部分なんだろ。 
 実際、僕らも結構あの山に登ったけど、まったく何も無かったじゃない」 

「でもねぇ……」そう私が零すと、 
「だよねぇ。どこか薄気味が悪くて、ちょっと登れなくなっちゃった」 
彼は顔を顰めながらそう返答した。 

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