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電話 後編

とうま◆QOo/wCnU9w@特選怖い話:2021/08/29 23:02 ID:XyP9U2yg

九野さんの運転する車で姉のが住むマンションに寄り、待つこと10分程。
もういいの?と訊ねた九野さんに、いいと姉は短く返した。
思えばこの2人の関係もよくわからないままだ。
高校からの友人だという事は知っているが、時折さきほどのように姉が九野さんを睨みつけたりしている時もあるし、どの程度親しい間柄なのかも実のところ不明だった。
再び車に乗り込んで、次に到着したのはホームセンターだった。枝切バサミを2本購入して、今度こそN山へと向かう。
N山に到着するまでは少々時間がある。
「今回の件、どういう事なのか説明してほしいんだけど」
どういう理由でS達は酷い心霊現象に悩まされているのか。捨てたスマホが戻ってくるという物理的にありえない現象はなんなのか。
訊きたい事はたくさんあった。
「せっかちだなあ、とうま君は」
「九野さんは黙っててもらえますか」
この人と話していると話を色々と混ぜっかえされ、そうこうしている内に本題がなんなのかわからなくなる事がしばしばあった。
うやむやにされた話題がいくつあったかは数えたくない。
「説明されてないのにN山へ行ったってわかった事とか、何人で行ったかとか。際立って罰当たりな事をしたわけでもないS達がどうしてあそこまで憔悴するような目にあっているかとか」
「理由は赤ん坊だよ」
助手席にいる姉の表情は見えない。
「Sの足元には9人の赤ん坊がいた。1人ははっきりしていて、あとは視え方が薄かった。体は赤ん坊だったが、頭は大人のものがついていた。男5人と女4人。目の前にいるSの顔もあったぞ。首には赤い線状の傷が何本も走っていた。ここいらでそんな目に遭いそうな場所、N山しか私は知らない」
赤ん坊の体に、大人の首が乗っている。想像して気持ちが悪くなった。気味が悪いにもほどがある光景だ。
「N山に行ったのは最近それぞれに結婚した連中で、まだ産まれていなくとも子供を授かっていた。単純な話にすれば、自分が失ってしまった愛しい存在をこれから手に入れる者へ、あの山にいるモノが嫉妬した。妬んだ、恨んだ。あそこにナニがいるかは、さすがにお前でも知っているだろう?それに彼等はさわってしまった」
N山に出るモノがどういった存在かは、確かに俺でも知っていた。それほどやばいと有名な場所なのだ。

産まれて間もない赤子をおぶってあやしながら、その母親は熱心に農作業に励んでいた。子守唄を唄っていると泣いていた赤子が静かになって、眠ってくれたのだろうと母親はその後も畑仕事を続けた。
女が仕事を終えて赤子の世話をしようとすると、赤子の首が、頭がどこにも無かった。母親の愛しい赤子の首は、働いている最中に当たった鎌で不幸にも切り落とされていた。
首はいくら探しても見つからなかった。
手元に残ったのは赤子の血で赤く染まった鎌。発狂した母親はN山にある沼へと身を沈め亡くなったが、それ以来、山には赤子の首を探してさ迷う女の幽霊が出るようになった。

ひどく悲しい話だ。
不幸で、救われない。母親も、赤ん坊も。

「子守唄が聴こえるのは母親が亡くなった時間だよ。水音は入水した母親が沼底に沈んでいく音だ」
姉によって語られる毎夜Sを悩ませた心霊現象の真相に、ぞっとせずにはいられなかった。誰かが死ぬ時の音を、Sは何度も何度も繰り返し聴いていた事になる。
教えても恐怖が増しただけだろう。
九野さんはSに問われたから、これらの事実を教えようとしたのか。
「おいしそうだったんだけどなあ」
「黙れ、九野」
「彼等は悪気無しに面白がって行ってはならない場所へ踏み入って、酷く悲しみ、悔いている母親を怒らせた。助からない因果は十分に成立していると思うんだけど」
「産まれてくる子供に罪は無い」
「優しいなあ」
「黙れ」

姉の声音はいっそ憎々しげだった。対する九野さんは楽しそうだ。
だからこの人は苦手なのだ。
朗らかで、悪意が無い。けれど善良では決してない。
得体がしれない。気味が悪い。近づきたくない。

ほどなくして、N山に辿り着いた。
時刻は昼の2時をまわったところで、まだまだ十分に陽が高い。
予想していたが、俺達の他には誰もいなかった。公園駐車場の周囲もSが言っていたとおり草が伸び放題で、荒んだ印象の強い景色だった。
先ほどホームセンターで購入してきた枝切バサミを車から姉が持ち出して、俺と九野さんに一つずつ渡すと、
「さあ、きりきり働いてもらうぞ。男共。夕方までには片づけたい」
N山の奥へと向かっていった。
のだが、道らしきところを進んでわりとすぐに、生い茂ったツタやら長く伸びた樹の枝やらで、それ以上進むのが困難になった。跨げば進めるとかそんなレベルではない。
Sの話とずいぶん違う。別の道があったのだろうかと首を傾げていると、
「ほら、切って進むぞ」
と枝切バサミを指さされた。このために準備してきたなら、この状態を予想というより確信していたのだろう。
「S達は一体どこを通ったんだよ」
「呼ばれた子達がまっとうな道を進めるわけがないんだよねえ」
肉体労働は範疇外なんだけどなぁと呟きながら、九野さんがてきぱきと道を切り開いていく。
1時間ほどかけて、俺達はようやく問題の沼に辿り着いた。俺も九野さんもすっかり汗だくだ。大バサミを使い続けた腕が軋んで悲鳴をあげている。
湖面は穏やかに凪いでいて、不気味さは感じられない。とても恐ろしいモノが出るような場所には見えなかったが、確かに民間伝承には母と赤子の悲劇が記されている。
腹が減ったし割に合わないと、九野さんは座りこんでぶつぶつ呟いている。どうやら拗ねているようだった。
俺も休憩に地面に座って、辺りを見渡してみた。どこを見ても、切り開いてきた道以外に辿りつけそうな場所は無い。どこも草木がぼうぼうでツタが多く、夜に来て簡単に辿りつけるようには思えなかった。
九野さんが言ったように、S達はまっとうでない道を通ってしまったのだろうか。そうでもないと説明がつかなかった。
姉は沼の周囲を歩き回って、何かを探している風だ。
そういえば夜になると手元に戻ってくるスマホの件を訊きそびれている。ここに捨てたスマホが家まで戻るやら、再びゴミに出しても戻るやらの説明がされていない事を思い出した。
「あったぞ」
姉が少し離れた場所で手招きしている。
億劫だったが腰をあげて姉が立つ場所に向かうと、そこには9つの壊れたスマホが残されていた。
「は?」
思わず声が出た。姉が受け取ったはずの、カフェで見たSのスマホまでそこにあった。
「意味がわからない。なんで?スマホは幽霊に行き会った奴らのところに戻ってるんじゃなかったの?」
「戻ってなんかいない。捨てられたスマホはずっとここに在った。ただ、Sには手元に戻ってきてしまったモノが視えていたし、ソレから聴こえる子守唄も水音も聴こえていた。遭ってしまったもの同士には、相互に何らかの縁が作用する。関わりあい、まじないあう」
それは。
共感呪術に関する記述にとてもよく似ていた。
「Sに差し出されたスマホは最初から透けていた。Sには触れるし、Sと一緒にいる間は見えるし触れる。だがSから離れてしまうと、関係が絶たれてソレは無くなってしまう。ここにいる母親と縁が結ばれてしまった者だけが、彼女からのコールを受ける資格がある。だからスマホは見えるし、彼等のもとには存在する。捨てることなんか不可能なんだよ。実物はここにあるんだから」
関わった者だけに視えるもの、聴こえる音。
境界に存在する、不可思議な世界。
「じゃあどうしたら終わるんだ」
その時じっと、背にした沼の方からじいぃっと何かが見つめる強い視線を感じた。
寒い。鳥肌が立つ。関わってはならないモノが放つ独特の気配が、Sがカフェに現れた時にも感じた気配が、強烈な存在感で不意に『こちら側』に浮かび上がる。
沼の方を振り向いても俺には何も視えない。
だが視線は強く強く睨むようにこちらを視ているのがわかった。
足がすくむ。動けない。こんなものどうやってなんとかするんだ。視えなくてもこんなに恐怖を感じる相手なのに、実際に視えていたS達を助けることなんてできるのか。
姉がゆっくりと沼の方へ足を進める。
「ねんねん ころりよ おころりよ」
子守唄を歌い、一歩。
「坊やは良い子だ ねんねしな」
二歩。
「ねんねのお守りは ここにおる」
三歩。足元が水に浸かる。
「この沼いでて 赤子抱く」
四歩。いつの間にか、姉の手の平には簡素な赤子の人形が握られていた。
「人のみやげに こをあげよ」
五歩。ふくらはぎまで沼に入って、人形をそっと沼へ流す。
「ねんねん ころりよ おころりよ 母も良い子だ ねんねする」
赤子の人形は吸い込まれるように沼の中心へ流れ、とぷんと静かに音をたてて消えた。
俺が知っている子守唄とは途中から音階も違っていたが、今ここではそれが正しかったのだろう。
視線はすでに消えていた。あれほど感じた寒気もおさまっている。
沼から足を引き上げると、びしょびしょだと姉は苦笑した。
「これは食べちゃっていいよねー?」
壊れたスマホが落ちていた場所で、九野さんが声をあげる。
「勝手に喰え!悪食!馬鹿!」
「いただきます」
ぱんっと手を一度打ち鳴らすと、スマホの残骸から何か黒い靄が九野さんの方へ流れて消えた。一瞬の事だった。
相変わらず、九野さんは意味不明だった。
「まったく、しまらんヤツだ」
いつのまにか陽が暮れようとしていた。
夕焼けの赤色が沼を染めて、静かに閑かに輝いた。


帰りの車の中で、赤子の人形を贈ったから母親は満足したのかと俺は訊いてみた。
すると少し違うと、姉から応えがあった。
「母親は許されたかったんだよ。己の手で子供を殺めてしまったこと。首を探し出せなかったこと。身を沼に沈めて、命を捧げて、赤子はとうに母の背に還っていたのに、気づくことができなかった。だから赤子に少しだけ形を与えて、その手の内に届けた。正しい赤子の形を得て、ようやく母親は我が子と眠りについた。それだけ」
「優しいなぁ」
「黙れ」
来た時とまるで同じやり取りがされて、思わず俺は笑ってしまった。
そうか、子供と一緒に眠ったのか。
「子供を大事にして、眠ったんだよ」
空は燃えるような赤。この色に姉は何を思い出しているのだろう。
「視えないものが、視えるようになっただけ。最初からそこにいたんだよ」
優し気な、囁くような声だった。
S達も、今夜からは平穏に眠れることだろう。

この話は、これでおしまい。
親子の暗がりは、すでに無い。

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