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電話 前編

とうま◆QOo/wCnU9w@特選怖い話:2021/08/29 22:53 ID:XyP9U2yg

俺には4つ年上の姉がいる。
見えるモノと見えないモノの世界の間を、ゆらりゆらりと泳ぎ生きているような姉が。
薄暗がりの異質な境界を俺がおっかなびっくり歩く時、何だかんだと言いながらも先に立って追いつくのを待っていてくれるのだ。
視える世界と、聴こえる世界の話を、今日はしようと思う。


夜中にかかってきた電話で、眠りの淵から叩き起こされたことはあるだろうか?
急速な意識の覚醒と、それに追いつかない体の感覚。
時刻は真夜中の2時を少し過ぎたばかりだった。鈍い体の動きを総動員して通話ボタンを押す。

「・・・・・・・・・・・・」

無言。
何なんだといぶかりながらも、こんな時間に一体何の用だと、相手が誰かも判然としないまま通話口に向かって「もしもし?」と話しかける。

「・・・・・・・・・・・・」

無言の中に聞こえる、わずかな息づかい。電話を通して、暗闇の向こうにいる『誰か』の気配を感じる。

考えてほしい。

電話に出る前に、相手が誰かをディスプレイの表示で見たか。
知り合いの名前だったか。
眠っていたところから電話に出て、ロクに確認をしなかったとしてもごく普通の反応だと思う。

けれど、もう一度考えてほしい。

午前2時という真夜中に電話をかけてくるような知り合いがいるか。
そんな時間に連絡をとらなければならないような緊急の用事だとして、ならば何故黙っているのか。
しんと静まりかえった夜の中で、真っ暗な部屋の中で、握りしめた小さな通話機ごしに自分が本当は『ナニ』と繋がっているのかを。
それが、『誰』からのコールなのかを。
だいぶ前の話になる。
「はい、姉はただいま電話に出ることが出来ません。用件のある弟君は、ピーという発信音がしたらそのまま電話をお切りください。ピー」
「おい」
「ピー」
「やっと電話に出たと思ったら悪ふざけか!」
携帯電話から耳に入ってくる姉の声に、俺はいよいよ溜息をついた。
相談したいことがあって何度となく電話をかけたのに、いっこうにつかまらない。一週間かけてやっと繋がったと思ったら、妙な留守電風メッセージで対応してくる。
「・・・・・・ちっ」
「露骨な舌打ちやめろ!」
ついには女らしさの欠けらも無い低音の舌打ちをされて、俺は4つ年上の姉がかなり気合いの入った電話嫌いであることを思い出したのだった。
「それで?ご用件は何ですか」
いかにも渋々と言った感じで、姉が電話の向こうで話しかけてくる。
「電話嫌い、いまだに直ってなかったんだ?」
「電話もメールもきーらーいーでーすー」
「機械系強いのに」
「それとこれとは別なんですー」
間延びしたしゃべり方。完全に拗ねている。
だったらどうして今出てくれたのかと聞けば、「留守電に切り替えようとしたら、手が滑った」と呆れるような理由を聞かされた。
着信履歴の多さから、弟の用件を聞く気になってくれたわけではないらしい。
世の中にスマホが普及してずいぶん経つのに、姉は相変わらずその利便性よりも自分の好き嫌いを優先しているようだった。家族と親しい友人ならば、留守電を入れておけばそこそこ連絡はとれるが、それ以外にはまず出ない。
俺は生活上、何につけても便利なので今更スマホの無い生活なんて考えられないが、姉はできるならば手放してしまいたいとよく言っている。
仕事には必要なので、嫌々ながら持っているといった感じだ。我が姉ながら、それでよくやっていけてるなあと、感心半分呆れ半分で俺は溜息をついた。
「とうま君、用が無いなら切っていいですか」
「用件はメールで送ってあるだろ!?」
「メール?あぁ、来てたねそういえば」
『かたればさわる』という姉の言葉が、ずっと引っかかっていた。
まるで無知ではいられないと、事故にあってから初めて俺はオカルト関連の書籍に手を延ばした。
自分が書き綴った記録のせいで、誰かに災難や厄が降りかかるかもしれないなど、放っておけなかった。
姉が関わったオカルトや鬼といった、俺には全くどうすることも出来ない世界の話を多少なりとも知ろうとした過程で、『共感呪術』というものがあることを俺は知った。
確かJ・G・フレーザーだったと思う。本は読むが、オカルトの専門書のような書物を俺は今まで手に取ったことがなかった。
読むと言っても新書を普通に読む程度。姉のように、ジャンルも専門の度合いもバラバラにものすごい冊数を読むというわけでもない。いつだったか母が「本の重さで二階の床が抜けてきそうで怖いわ」と漏らしたことを考えれば、姉の読書量がなんとなく想像してもらえるだろうか。
初めて目を通したオカルトの専門書は、難解で正直理解できた感じはなかったが、共感の法則の「接触したもの同士には、何らかの相互作用がある」という記述が印象に残った。
『語れば触る』ということなのか、『語れば障る』ということなのか。
そもそも、この考えであっているのか。
俺が語り、誰かが読むことを「接触」とみなし、そこに『赤い鬼』が残滓として影響を与えるならば、読んでくれた人に悪影響が出ないようにする方法はないのかというのが、姉に送ったメールの内容であり、俺が解決したい用件だった。
既に「さほど影響はないだろう」と姉に言われてはいたものの、自分が投稿したせいで誰かに災厄が降りかかるなんてことは万が一にもあってほしくなかったのだ。
改めて電話でその旨を伝えると、
「心配性になったよねぇ、とうまは。もはやうっすらぼんやりしか存在していない、残滓とも言えないようなモノが与える影響のことまで考えるか・・・・・・」
と何処か遠い場所でも眺めるような、ぼんやりとした声が返ってきた。自分の身に起こった様々な事を思い出しているのかもしれない。
姉の指摘に対し、そんなことは無いと否定はできなかった。
最終的には俺だって『赤い鬼』が引き起こした事の顛末から完全に逃れることはできなかったし、オカルトが人にもたらす影響の恐ろしさは身をもって知ることになったのだ。
「三日後の予定は空いてる?」
「え?あぁ、空いてるけど」
唐突な問いかけに、頭の中で予定をさらって答えると、電話の向こうの気配がうっすらと暗くなったように感じた。
「・・・なら丁度いいか。じゃあ三日後に図書館のカフェで。ただ働きはしないからな」
何処か渇いた印象の鋭い声音に切り替わる。口調と声音の切り替えは姉が鬼と関わるうちに身につけた、クセの一つだ。
きっと、この電話の向こうでうっすらと笑んでいるのだろう。
あの敵意が自分に向いているものでないとわかっていても、ぞわぞわと背筋が逆立つ感覚が襲ってくる。
「全て残らず片付けてやる」
そう言って、電話は切れた。
いつだったか生物学の本で読んだ、『微笑みの起源は威嚇である』という話を思い出した。
もっとも、姉の笑みは少しばかり皮肉気に見える薄い笑いで、ニホンザルのグリマス表出のように歯をむき出しにして嗤っていたのは、姉が敵と見なしていた赤い鬼の方だったのだが。


三日後、俺は待ち合わせのカフェでぼんやりしていた。黒のジーンズにシャツ、暖かい陽気だったから軽いジャケットを着ただけのラフな格好でスマホをいじる。
直接会うのは事故以降初めてだから、結構時間が空いたなと今更考えた。俺も姉もそれなりに多忙な日々を送っていたということだろう。
県内でも有数の大型図書館は、姉の気に入りの場所だ。同じフロアにカフェがあることから、いつでも多くの利用者がいる。
「カフェに着いた」とメールして15分もしない内に、姉が姿を見せた。相変わらず色が白い。肌が弱く、日焼けを避けるせいだ。金属にも負けるから、アクセサリーもほとんど身につけない。
赤みがかった髪は地毛だ。俺の黒い髪とは全く別な色味。並ぶと姉弟というよりは男女の双子のようだと言われるほど年が近く見える俺と姉だが、長い付き合いの友人達は口をそろえて「似てるのはぱっと見の外見だけ」と評する。
たぶん、言動と表情が全く似ていないことが、長く付き合わないとわからないからだ。普通の皮をかぶっている状態の姉は、単純に明朗快活に見えて、俺とよく印象が似ているらしい。
その日の姉はグレー地にラインの入った、タイトなスーツを着て姿を現した。仕事じゃ無い日にかっちりとした格好は珍しく、俺ははてと首を傾げた。
「お待たせ」
俺の左隣の席に着いて、接客に来た店員に珈琲を頼む。
姉が落ち着いたのを見計らって、「どうなった?」と切り出した。
三日前、電話越しに聞いた『全て残らず片付けてやる』という薄暗い声を思い出す。
あの晩の気配を微塵も感じさせない明るい様子で、
「始末は全部つけました。何の影響も出ないように片付けたから、今後一切とうまが無駄な心配をする必要はありません」
何をどう片付ければオカルトの影響が出ないようになるんだと尋ねた俺に、図書館入り口の方を示し、
「九野に全部喰わせた。もうこの世に影響の与えようも無い。『赤い鬼』の残滓も、関わりも、慣れの果ても、よすがの全て放り込んでやった」
人の悪い笑みを浮かべて姉は答えた。
その名前に俺は思わず腰を浮かせかけ、姉が素早く静止する。
「はい、とうま逃げない。というより逃げても遅い、もう遅い」
罠にかけられた気分になった時には、すでにその人物は入り口の扉をくぐって、こちらの席に向かっていた。
「・・・・・・九野さん」
「とうま君、久しぶりー。なんか面白いことやらかしちゃったって?」
軽い口調で俺の正面の席に腰掛けた男性は九野(くの)さんという。
年は姉の一つ上。高一の時に姉が唐突に「友達連れてくるから」と言って家に招いたのが初の出会いだが、その時は姉と違う高校の制服を着ていた。
下の名前は未だに知らない。
背はそれほど高くなく、肉付きもどちらかといえば薄い方だろう。
色素の薄い髪色と若干の猫背。顔が良く、人当たりも良く、相談事にのるのが得意で多方面に友人が多い。
何度となく会ったことのある人だったが、とにかく俺はこの人が苦手だった。深く関わりたくないため、九野さんに関する詳しい情報を意識的に耳に入れることを避けるほどに。
苦手とするのに十分な理由がある。気さくなこの人が、その軽さとは裏腹に姉と同程度かそれ以上にどっぷりとオカルトに浸かっていることを知っているからだ。

「とうま君が持ち込んでくれた相談事ね、おいしかったよ。ごちそうさま」
「そう・・・・・・ですか。良かったです」

九野さんは、『異様』だ。
表情や語る声音は朗らかで、人格的には決して嫌いじゃない。
暴力的なところもなく、話題も豊富で面白い人だ。
けれど、相対する度、ぬぐい去れない違和感が増していく。
人間を相手にしている感じがしない、という違和感が。
姉や本人の言動の端々を素直に受け取るなら、オカルト的な現象もその理由の大元も、九野さんは『喰える』ことになる。
オカルトに対処できる手段を持っている人間の中で、持ち込まれた相談事に『おいしかった』と感想をつける人はどれぐらいいるだろうか。
それが厄介で悪質であればあるほど、九野さんは嬉しそうに、満足そうにするのだ。
九野さんという人は、怖い。
何処までいっても得体が知れない。それは、とても不快な感覚だった。
「どういうことだよ」
姉に真意を問う声が、自然とキツさを増す。
この人が出てくるような大事が、何かあるとでもいうのか。
「そう怒るな。ただ働きはしないって言ってあるだろう?私も九野も、基本的にこの手の頼まれごとはボランティアではしないことにしてる。それが身内でもな。とうまには少し手伝ってほしいことがあるだけさ。お前は自分の友達をみすみす見捨てる真似なんかしたくないはずだが?」
「何のことを言ってるんだよ」
その時、俺の背後、図書館側からゆっくりと近づいていたその人物が、右隣の椅子を引くのを視界の端に捕らえた。
瞬間、照明の明かりが翳り、急激に周囲の温度が冷えたような感覚に陥る。
何だこれはと考えるより先に、相当にまずいナニカに関わっている人間が放つ独特の気配が伝わってきた。
全身に鳥肌がたつ。
カタッ、ススーッという椅子の脚がリノリウムの床にこすれる音が、妙に引き延ばされ雑音となって耳の中で反響した。
右隣に腰掛けた人物を、見たくない、でも見なければならないという相反する気持ちの中で視線をやり、自分の目で確認して俺は驚愕に凍りついた。
外の暖かい気候にまるでそぐわない、冬用の分厚いニットカーデを羽織ったその人物に見知った面影を見つけたからだ。
青白いというよりは土気色のような憔悴しきった面持ち。
生気に乏しく、影までもが薄い。
「・・・・・・まさかSか?」
「あぁ。とうまは変わりなさそうだな」
人違いであってほしいという希望は、即座に打ち消された。
「本当にSなのか?何なんだその顔・・・お前何kg減ったんだ。何があったんだよ」
弱々しい笑みを浮かべ、やつれて見る影も無いほど変わってはいたが、紛れもない親しい男友達の姿がそこにはあった。
「悪い。こんなみっともないところ見せて。お前にも迷惑かける。でも、俺もうこれ以上は無理で・・・・・・」
Sは痩せた手にスマートフォンを握りしめていた。
指先が白くなるほど力を入れ、震えながらSが俺を見上げてくる。
「助けてくれ・・・・・・夜になると電話が、ずっと、電話がかかってくるんだ」
「・・・・・・誰から」
俺の問いかけに、Sは恐怖に目をいっぱいに見開きながら、消え入りそうな声で答えた。
「沼の底の、幽霊から」
俺はもう一度、Sの手の中のスマホを見た。握られたままではよく見えないため、強ばったSの手を開かせ、スマホをテーブルに移す。
テーブルに移そうと機器を受け取った瞬間、今ままで人の手の中にあったとは到底思えない、一切の熱を感じさせない冷たい温度が伝わってきた。
あまりの冷たさに驚いて、テーブルの上に投げ置くような形になってしまう。
液晶には罅が入り、電源も落ちたスマホは真っ暗な画面しか映していない。
ううぅ、と嗚咽を漏らし始めたSがどんな状況にあるのか、俺には想像もできなかった。
テーブルの上で照明の光を反射するスマートフォンが、不気味な存在感を放っていた。

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